キヤノン逆転勝訴をどう読む?2006年02月01日 15:46

PCプリンター用のインクカートリッジのリサイクル品をめぐる知的財産高裁判決でキャノンが逆転勝訴した。簡単に言えば、再生業者が使用済みカートリッジを再生品として甦生させるのであれば、元の製品の特許をもっている企業にライセンス料を払いなさい、ということだ。これは、今後安い再生品で間に合わせることは、ほぼできなくなることを意味する。キャノンは(あるいは最近の高度技術指向型企業は)、本体(今回の場合はPCプリンタ)の価格を低く抑え、本体と一体化する消耗品(今回はカートリッジ)を高価格に設定しつつ、元を取るビジネスモデルに走っている。だから廉価の再生品が勝手に製造されるのであればキャノンにとっては由々しきことになる。逆に、再生業者には、あるいはわたしたち消費者にとっては「うれひぃ」ことになる。しかし判決はキャノン(高度技術指向型企業)を支持した。キャノンは相対的に多くの研究開発費を投じているといわれる。したがってその意味でも今回の判決にはホッとしているものと思われる。研究開発による新技術・新製品がいわゆる「特別剰余価値(超過利潤)」をもたらす点について、かつて宇野弘蔵は「如何なる社会にも必要とせられる改良費」ととらえた。改良した者にはその対価が与えられるのは当然だということだ。そうでなければ人間社会の「進歩」「発達」は進まない、というのがその背景にあった考えだ。したがって、資本主義社会では改良した者が「私企業」なのだから改良の対価は当然そこに入ることになる。資本主義というのはそういうシステムだということにほかならない。玉井克哉東京大教授(知的財産法)――って、どういう人か全然分からないが―――が今回の判決は妥当だと言っている(毎日新聞より)のもこうしたことなのだろう。今回のケースではわたしたち消費者にとって「ちっともメリットがない」、「最悪だ」としてもそれはしょうがないことになる・・。仮に、リサイクルが必要な時代だ、環境のことを配慮しなければならない段階だ、と環境問題の観点からキャノンを追求しても、キャノンは裁判のなかでも主張したようだが、以前からカートリッジの回収を呼び掛け、回収品はセメント材料として再利用しているもんね、と反論するだろう。こうした全体の構図がどこか変、と思ったとしたら、私企業が経済のメインのプレイヤーという市場経済社会の問題としてトータルにとらえ返す以外にない・・。

牛とクルマは同じ?2006年02月03日 10:03

BSE対策でまたまた閣議決定違反の事実が浮上したようだが、そういえば一昨日(2月1日)のAsahi.comの記事が印象的だった。「危険部位の混入、理由にならぬ」再禁輸で米下院委員長、という見出しの記事 。米下院農業委員会のグッドラッテ委員長(共和党)が、特定危険部位の混入で日本が米国産牛肉を再度輸入禁止にしたことについて、「今回は積み出しの際のミスであり、輸入全体を禁止する理由にはならない。1台や2台の欠陥車が交ざっていても、米国は日本車の輸入を禁止しない」と述べたとある。生物の病変可能性と機械(クルマ)の欠陥が同じ次元の問題として観念されている。さすがにキリスト教の国だと「感心」した。神がすべての生物を作った、というのがキリスト教の発想だからである。神は人間をつくった。その人間は神の理性を分有しつつ、マシン(自動車やコンピュータ)をつくった。こうしてつまるところ牛肉とクルマは同一位相のものとなるというわけだ。近代の発想、近代のイデオロギーと重なるという意味でも「面白い」。

脱マスメディア2006年02月04日 09:57

朝日ニュースター(CS放送)の配信世帯が400万世帯を突破したという。これは注目すべき数字だ。いわゆる地上波テレビのプログラムの質の低下は目にあまる。いまでは報道番組と映画以外に民間放送を見ることはほとんどない。かつて大いなる批判を投げつけてきたNHKは結構見る。民間放送に比べればまだましだからである。もちろんちょうど1年前に、朝日新聞がNHK番組改変問題を取り上げたような体質の問題をNHKが抱えているのは事実だろう。それでも民間放送よりもましだと断じざるを得ない。で、朝日ニュースターである。これも民間放送ではあるが、プログラム作成のポリシーが地上波とは違う。まだマスメディアのもつ使命をまっとうしようと思っていることを少しは感じさせてくれる。昨年の総選挙時には、民間地上波は雪崩をうって「小泉の太鼓持ち」になったが、CS、BSは比較的距離を保った。第四の権力をきちんと演じている、とまではいわないがそれなりの主張を持っている。わたしはケーブルテレビによって見ているが、他にはJNNニュースバードやBBCも見る。CNNは解毒剤のフィルターを用意しつつ見る。ともあれ放送メディアの多様化が急速に進んでいる。その一つが朝日ニュースターの配信世帯400万突破だ。地上波テレビの視聴率1%は実数で100万人強といわれる。だから400万という数字は注目されるのである。

制度としての教育機関とは2006年02月05日 10:02

朝NHKラジオの「日曜訪問」を聴いた。きょうは「日本型胡弓」演奏家の石田音人氏だった。これも面白かったが3週間前の仙道作三氏(→HP)の時はいろいろ刺激を受けた。考えさせられた。さしあたりこのHPを見ればどんな仕事をしている方かわかるが、簡単に言えば1945年に秋田に生まれ、中学卒業後集団就職で東京に出て、工員として働きつつギタリストを目指した後、作曲に目覚めて柴田南雄(作曲家・芸大教員)の押しかけ門下生となって作曲をマスターし、その後意欲的に曲を発表している人ということになる。清瀬保二に師事したことがあったとはいえ、ほとんど独学で作曲を身に着け、数々の「すごい」曲を残した武満徹を連想させるが、ここで強調したいのは仙道にしても武満にしても制度としての教育とは何か、を鋭く問い返しているように思われることだ。美しい日本語文はいうまでもなく文法的に正しい日本語すら書けない学生ばかり、という現状。誤字だらけ、脱字にも気がつかない大学生。本らしい本をほとんど読まない、教科書さえ買わず、持たずといういまの学生との落差は気が遠くなるほどだ。いわゆる高等教育の著しい大衆化の結果であるのはいうまでもないが、ことの本質は芸術のフィールドか否か、というようなところにないことも確かだ。