NHK改革に関する「新聞投書」に触発されて2006年06月11日 14:12

今朝の河北新報の投書欄。「NHKFMの放送継続望む」との声が掲載されている。竹中の私的懇談会がNHKのFM放送などの削減を提言したことへの異論である。懇談会は「民間のFM放送が普及しており、公共放送でやる必要はない」と削減の理由をあげているが、これは受け容れるわけにはいかない、と。なぜならば、自分は「クラシック音楽の愛好者であり、一日の大半をNHKのFM放送で楽しんでいる」が「民間ではまともなクラシック音楽は見当たらない」し「コマーシャルをしょっちゅう流さなければいけない」事情を抱えた民間では、「クラシック音楽のように長時間の音源はもともと無理」なのだから。放送のコンテンツ(クラシック音楽)の性質(曲の演奏が長時間にわたる)が、いわゆる公共放送というメディアを要求するという点に焦点を絞ったまさに正論である。

ここで「公共放送」というのは、情報に関する有料配信モデルの謂いであり、情報配信機関(放送局)が、公的な性格をもつという意味で中立的な立場が前提とされる機関による放送という意味である。したがって「民間による放送が普及している」ことを根拠に、それに一元化してかまわない、という議論はそもそも成り立たないというべきであろう。コマーシャルで中断されるという不快から自由に情報を取得したい、何かに偏った視点、例えば大スポンサーの顔色をうかがう姿勢、で切り取った情報というのは遠慮したい――この点では、政権与党寄りの色合いを否定し難いいまのNHKにも大いに問題はある――者にとって、「民」があるから「官」(公共放送)は不要、ということにはならないのである。

それにしてもコマーシャルによって流れが中断される番組を見続けることのストレスから自由にはなれないものか。あるいは、せめて鑑賞に堪えうる広告(コマーシャル)表現が出てこないものかと思う。