「西鉄ライオンズ」の看板選手の筆力2006年06月22日 22:26

かつて、「西鉄ライオンズ」というプロ球団があった。「野武士軍団」といわれ、看板選手がずらりと並んでいた。高倉照幸、中西太、大下弘、仰木彬、稲尾和久、豊田泰光などなど。監督は三原脩。ジャイアンツ相手に日本シリーズ3連覇を達成(1956年~1958年)したこと、とくに1958年には3連敗した後、4連勝したがそれは稲尾がすべて投げきったからできたこと等を知っているものもたいぶ少なくなった。その「野武士軍団」の看板スターの一人、豊田泰光が日経(毎週木曜日)に「チェンジアップ」というコラムをもっている。これが結構読ませる。

きょうのところでは、過日(18日)の楽天VS巨人で、6回の巨人の攻撃にふれている箇所。2アウト、1,3塁。李が絶妙のセーフティバントを決めたのに、3塁走者鈴木が動けずに立ちつくしてしまった。意表をつくバントが、味方まで欺いてしまう結果となったが、これは走塁の基本が身についていない証拠だと。「走塁というのは脚力半分、意識半分であって、我々と同時期にプレーしたロッテの飯島秀雄選手は陸上の百メートル日本記録保持者、五輪代表だったが、結局23盗塁を記録しただけだった。・・巨人でいえば鈍足といわれた元木がしばしば好走塁をみせた・・」。プロの目とはこういうのをいうのだろう。飯島が野球の世界ではまったく通用しなかったというのは記憶にあったが、3年間の選手生活のなかで成功した盗塁がわずか23だったのは初めて知ったし、なぜ球界ではものにならなかったのかも初めて納得した。そういえば、飯島の脚に5千万円の保険!と話題になったのを思い出した・・。

「野武士軍団」といえば、稲尾が、2001年7月『日本経済新聞』に「私の履歴書」を連載したが、これも非常に面白かった。日経をまず最終面(文化欄)から読むようになったきっかけとなった。現在は、これが『神様、仏様、稲尾様―私の履歴書』として「日経ビジネス人文庫 」に入っている。