成人と呼ばれる13歳2007年01月08日 23:34

今日は成人の日。きのう、きょうと各地で成人式が行われた。ここ何年かマスコミが“おいしそう”に取り上げてきた新成人の“不適切な”行動。今年は愛知などいくつか報道されたが、大きな騒ぎにはならなかったようだ。セレモニー会場では、いずれにおいても酒の持ち込み禁止とか飲酒者の入場を制限するといった対策が講じられ、それが功を奏した格好だ。

人生50年から80~90年へ。ますます高齢社会が前景化する。人生が50年から80年に延びると、前者の20歳は、後者では13歳となる勘定(見方を変えれば現代の実年齢32歳がかつての20歳=成人!)。だからセレモニーで暴れる新成人が駄々をこねる子どもにしか見えないのももっともだ。アドレッセンスに入った小さな実存が、社会に対して抱く不安・反発・違和感のまったく正攻法的表現だからだ。今年はいわば一喝されてシュンとなったということなのだろう。

だから 3年前(2003年12月)に村上龍が『13歳のハローワーク』を刊行したのは現在(いま)の社会のありようを見抜いていたということになる。荒れる成人式に焦点をあわせた企画だった。むしろ実年齢13歳よりも、実年齢20歳(大学3年になる彼たち/彼女たち)が真剣になって読む本となったからだ。

で、ここで問題となるのが、「成人」の年齢を20歳から18歳に引き下げる民法改正案が日程にのぼってきたこと。憲法「改正」をめぐる国民投票法案とのからみでどうやら現実味をおびてきた。駄々っ子をオルグれるのは、この無定型なエネルギーを味方にひきつけられるのは、果たしてどっち・・?