グローバリゼーションのなかで・・2007年05月12日 22:19

高額な入札額(60億円)で大リーグ入りを果たした松坂が、結果的には勝ち投手になりつつも、内容がまだまだ乏しいということで、試行錯誤の結果、日本にいた時の調整法に戻したと伝えられた。朝日新聞には「肩は『消耗品』」との考えから、シーズン中の投げ込みを抑える米国流と、投げ込むことによって、筋肉を作り、自分の投球フォームを体にしみこませる日本流」との解説がある。で、多少の効果はあるようだとメディアは伝える。松坂は「自分の感覚を最優先して調整するスタイルを変えるつもりはない」と決意しているというのは日刊スポーツ。米国発の球技でありながら、それぞれのいわばスタンダードがあるということなのだろう。

その意味でちょっと興味を引くのが数日前に河北に載ったコラム(10日付河北抄)。冒頭はこんな風だ。「試合序盤、同点で無死一、三塁。内野ゴロなら、どう守る? 大リーグの審判を目指す元パ・リーグ審判員平林岳さんが著書で語る『日米の野球の違いが象徴的に表れる場面』」というのがそれ。で、どう守るか。私は、裏をかいたつもりで誤った。コラムは次のように続く。「二塁に送球し併殺を狙うのが米国流。1点やっても、あとで2点以上取ればいいという果敢な戦術。日本では点はやらない、本塁封殺がセオリー。『守りの野球』だ」。

松坂の自分のスタイルへの回帰のことも含め、グローバリズムに対する単なる反グローバリズムというよりカウンター・グローバリズムの可能性を、ここに見るのは無理だろうか?