国家公務員の懲戒処分2007年06月01日 21:36

今朝のニュースは、人事院が、昨年の国家公務員(一般職)の懲戒処分状況について公表 したことを伝えた。社会保険庁でタレントや政治家の年金個人情報を業務目的外で閲覧したことに伴なう大量処分があった一昨年と比べれば昨年の処分者 は減ったものの、「平成」の数字では2番目に多かったようだ。処分の事由は通常業務処理関係(業務処理不適正、報告怠慢等)が全体の4割、公金官物取扱関係(紛失、不正取扱等) が1割5分。府省等別では、日本郵政公社、法務省、社会保険庁、厚生労働省の4機関で9割を占めたとのこと。

このような公表されたデータをどう読めばよいのか。「大きな 政府」を否定し、「小さな政府」を善とし、公務員バッシングが進む状況が“演出”した結果なのか。4つの機関ないし組織が全体の9割を占めるというのも実に不可解なことではな いか。他の府省は狡猾なのか・・。業務処理不適正ということで処分相当の“行為”と判断されたことが誰をも説得する内実をもっているのか。いわれなき公務員たたき横行のなか での現象ではないという保障はあるのか。「優秀な人材」の官僚離れが加速しているのが、競争原理に身を投ずというのと表裏一体をなしている現実にも止目する必要があるように 思う。官僚を手放しで擁護する愚は避けなければならないが、市場原理の暴走に歯止めをかける“主体”不在も愚というべきではないか。

カンヌ映画祭は非「商業主義」?2007年06月04日 21:50

カンヌ国際映画祭で審査員特別大賞「グランプリ」 を得た「殯の森」。 まだ見てもいない映画なのだが、ここ1週間何かと話題になっているの でちょっと気になってきた。今朝のNHKテレビ(総合)では、監督の河瀬直美へのインタビュー を流していた。そのなかで、河瀬は、主役を演じた、うだしげきを 「俳優」に仕立てていったプロセスについて語っていた。 主役の設定は「33年前に妻をなくし、妻の思い出 とともに生きてきた認知症を患う男性」。本職は奈良の喫茶店店主の映画は初出演である うだしげきに3ヶ月の間、 実際にグループホームにはりついてもらったという。認知症の人はどんな動きや 表情をするのか、人の働きかけに対してどんな反応をするのか等について じっくりと“身につけて”もらったとのこと。プロの俳優だったら3ヶ月もの 長期間、そのような“ムダ”をこなしてはくれなかっただろうという指摘が非常 に印象的だった。「商業主義より作家性、にウェイトをおいた『カンヌ映画祭』」 (河北新報朝刊15面)と響きあっている、と言えそうだからである。暴力や犯罪 をテーマとしたアメリカ映画よりも、「生死という人間の根源的テーマ」を評価 したということらしいし、最高賞(パルムドール)を受賞したのが、共産党政権 末期の首都ブカレストを舞台とする、女性の人権を問いかけたルーマニア映画(同上) だったというのも映画祭のポリシーを感じさせるように思う。

とはいえ、今回日本からは あの「商業主義の権化」のようなフジテレビが、キムタクやシンゴを現地に派遣しつつ、 大々的にプロモーションを展開したらしいから、映画祭の今後にはあまり期待しないのが よいのかもしれない。アメリカ型自由競争社会を是とするサルコジをいただきはじめた フランスのなかで、カンヌだけがその流れから自由であり続けられることもないだろうとも 思われるしね。

横尾忠則の「デザイン廃業宣言」2007年06月07日 10:47

横尾忠則が 「デザイン廃業宣言」した(YOKOO'S VISION 6月1日付)。 いわゆる商業美術を“卒業”し、純粋美術(ファインアート)に純化す ることにしたようだ。江戸時代に現れたいわゆる‘隠居’の身分で、より自 由に生きる、ということらしい。最近は、社会の構図そのものを反映し て、純粋美術か商業美術か、でなやむアーティストにはめったにお目に かかれなくなったが、さすが1930年代生まれの“世界の横尾”。貧しい 時代を知っているだけあって、あるいはビンボーではなく貧乏を身をもって 体験した世代だけあって、《表現》が、利得や営利とは違う次元で品性をたもつ ことへの思い入れは確固としている。20歳の時、企業からの制約や条件に縛られる グラフィックデザイナーとしての仕事を始めた横尾。もちろんグラフィック デザインと並行して独自の自由奔放な《表現》の世界をもち続けてきた。 しかし古稀を迎えてグラデにけりをつけたということなのだろう。 唐十郎率いる状況劇場が演じた 『腰巻お仙』のポスター(1966年)を目にした ときの衝撃が総天然色でありありと浮かんでくる。アングラ劇のすさまじい 力を教えてくれたあのポスターはまさに沖天の勢いそのものだった・・。

アマゾンの新サービス2007年06月10日 21:38

消費者心理の問題ということになるのだろうか?アマゾンが、年会費3,900円で、商品の配送料が一切タダとなる新しいビジネス・モデルを開始した。これまでは1回購入金額が1,500円以上の場合には送料がかからなかったが、1,500円未満であれば送料の負担があった。だから1冊1,000円の本を例えば350円の送料を払って購入するということはほとんどなかったのではないかと推察される。ばかばかしいと判断して買うのをやめるか、とりあえずあまり読みたいわけではないが、あってもよい本を1冊追加して1,500円の条件をクリアする、という選択肢を選んできたのではないかと思う。それが年間3,900円の負担で、ハードルが一挙に下がった。のみならずこれまでは追加料が必要だった「お急ぎ便」も無料となる。おそらく予想以上のユーザーが、この新サービスに乗るのではないか。しかも一度払った3,900円を「回収しなければ?!」の心理から、従来よりも購入頻度も増えるのではないか。アマゾンの創業者にして現CEOのジェフ・ベゾスは「ネットインフラが充実し携帯電話での通信も充実した日本なら、確実に成功する」と言っているとのこと。「欲しい!」と思ったら即購入手続きに入り、その流れに掉さす、一見凡庸に見えながらも意外な威力を発揮する仕掛けのような気がする。

消費者心理という点では、今朝の日経に紹介されていた、値引きよりもポイント発生を好む消費者が多い、というのもちょっと面白い現象だ。