老人介護とディスコとイザカヤ2007年06月12日 08:35

居酒屋に一人で入る、という経験はほとんど数えるほどしかない。とはいえ、 友人、知人とよく行く馴染みの店に一人で入った時には、親方やおかみさん が、こちらの飲むタイミング、食べる頃合いをみはからったように応対してもらえ る心づくしは十分に記憶に残っている。もちろんカウンターがメインで、テー ブルはあっても数卓という店の話であり、ずいぶん昔のことである。4,5年 前に所用で、ある郊外都市に行った。夜八時をまわろうかという時分に、ホテル に入る前に夕食を、と思ったものの、あいにく食事にふさわしい店が見当たら なかった。そこでやむをえず、現代風の居酒屋のドアをあけた。一人だとわかって 案内された席が、前が壁になっているカウンター席。壁にはサワーの類のポスター が貼ってあった。店の係りが注文をとり、それを抑揚のないやや大きい声で復唱する。「・・ でよろしかったでしょうか」と。ややあってビールの色にしては心持ちうすい色 の「中瓶ジョッキ」と「飲みものの付属物」とでもいうべきものが運ばれてきた。 決して〈肴〉などといえるしろものなんかではない。焼き魚まがい。 見た目はなるほどなのだが、器というより入れ物に無造作に盛られた煮物。酒肴を たしなむ時間帯がアフターファイブとよばれるようになってから久しいが、まさに この横文字を体現したかのような空間。ただ、度数のついた飲みものというよりドリンク? を飲み、ただドリンクにつまみはつきものだから頼まれれば出す、とでもいいたげな 意趣。アルコール度数と一定程度のカロリー数、にしか関心がないかのように 加工されたドリンクとえさ風の何か。そこは近代の果てであり経済的合理のみの 跋扈する場以外のものではなかった。「まっこと、おそろしか空間だったとぅよ」。 この店が、コムソンの老人ホーム買取に名乗りを上げた渡辺美樹が経営する店だった。 そういえば、コムスンは、バブル期に名をはせたディスコ「ジュリアナ」を立ち上げた 沢口雅博が支配してきた介護ビジネス。市場至上主義の教材を提供してくれた ということで貢献してくれたというわけだ。

6月15日2007年06月15日 22:52

大学4年のゼミは、全員が揃うことはめったにない。就活で忙しくゼミなんてやっている ヒマはないのである。それでも今年は内定者がけっこう出ている、という点で、超氷河期と いわれた一頃とはだいぶ様変わりしている。しかし、内定が出ればあとは卒論に専念か というとそうではない。内定を出した企業が、あれこれと理由をつけて内定者を拘束す るからである。日本の企業は、10月1日一斉に内定式をやり、この日は大学でゼミがあろ うが、講義があろうが、それとは無関係に大学4年生を“拉致”する問題を以前 エントリーした が、大学の教育を “シカト”するのは内定式ばかりではなくなって、常態化 してきているのである。

こう書くと、いかにも企業がまるで強権を発動しまくっ ているかのようにイメージされるかもしれないが、今朝の朝日(生活面)によると、採用 が内定した学生の親向けに会社見学会を開いたり、社長が内定者の家庭を訪問したり、と いうのが増えているとのこと。その背景にあるのが、内定辞退の理由として最近増えている 「親の反対」。大学の教育はシカトしつつ、内定辞退の発生は恐れる というのがいまの企業。そして内定辞退に深く関与するのが「親」という構図。だったら「親」は、 企業が大学教育をシカトすることをなじるような態度を示すのか、といえば、それは皆無である。 まことに奇妙なことである。わが子が、十全な大学教育を受けることははなから 期待していない。文系でも私大であれば4年間で5百万はかかろうというものである。しかし、 それに見合うだけの内容が与えられたか、それと等価といってよい成果は見られるのか という点には親たちはきわめて無頓着なのである。これだけ市場原理万能主義のご時勢のなかで ここだけは非市場原理の基準がむくむくとあたまをもたげる不可思議。「意味 の無い内定者の動員は、教育をうける機会をうばう暴挙である!」というのが、親たちの 口から出てもよさそうなのに、決してそんなことはない。大学教育は、企業からも、親たちから も「期待するもの」ではなくなったということである。もちろん学生たち自身も同様だ。

いまから47年前のきょう(1960年6月15日)、全学連に結集した学生は日米安保条約粉砕に向けた 果敢な行動を展開した。その数、労働者や市民をあわせ全国6百万。

第4の権力2007年06月18日 22:29

一昨年だったと思うが、マスコミへの就職を希望している学生がゼミに入ってきた。 なぜ、マスコミなのか?というようなことなどを聞きながら、マスコミ、ジャーナリズム は「第4の権力」というが、それについてはどう考えてる?と尋ねてみた。その学生の 反応はなかった。て、いうか、そもそも「ダイヨンノケンリョク!?」の意味がわかって いなかった。「第4、というのだから、もちろん第1から第3まであって・・」という ことを話した。しかしそもそも三権分立の理解ができていないのであった。

早稲田大学が、ジャーナリズム教育研究所を開設した(河北。朝刊)。プロのジャーナリストを養成する のがそのネライという。これまでは大学のジャーナリズム関連の授業は、いわゆる一般教養 的な傾向をもち、プロフェッショナルを育てるという性格のものではなかったという のと、採用する側の新聞社や放送局が、ジャーナリズムとは何か、を勉強した学生はむしろ 敬遠する傾向にあったということが、その背景にあるらしい。何のことはない。ジャーナリズム 自体が、公権力のチェック機関として立つ、という意気込みを失ってきたということではないか。大手広告代理店 の絶大な力、というような問題を含めて、無料で視聴可能なメディアが、第4の権力として機能 すると考えることはできるのか、をあらためて問う必要が出てきた。まあ、そう考えることは難しいかなぁ・・。 早大の教育研究所には、せめてマニュアル・マスコミ人だけは育てないでね、と言っておきたい。

教育関連3法2007年06月21日 11:26

教育改革3法が成立してしまった。現内閣が、最重要課題としていた法案。実にあっさりと、 実に有権者をシカトして。とくに「改正」地方教育行政法が焦点とされる。教育委員会に対する国(文科省) の介入を担保する意味合いをもつからだ。国を愛さないものを締め上げる、という強権 発動も常態化する可能性が大だ。なぜ「国」という虚構を愛さなければならないのか。「クニ」 (おらがクニのクニ)であるならまだしも、なぜ「国」なのか。もちろん「クニ」であれば国(文科省) の与る余地はない。と、いうより与るべきではない。なんとも憂鬱な法が通ってしまった。

それに、「改正」教員免許法も大問題というべきである。教員免許の有効期限を10年とし、更新 要件を設けた。更新要件は、有効期限内に免許更新講習(30時間)を受け、修了の認定を受けること。 予め修了目標が定められた講習を受けて、なお教員としての資質に問題ありとされれば免許は失効。 何のことはない、気にくわない教員は「更新ナシ」というドーカツがまかり通るということになる。 講習の受講資格として、その時点で教職の現場にいることというのもある。ようするにペーパー教員 は枠外ということだ。

5月、6月は教育実習の期間である。事務の前には、夥しい数の教育実習を希望する学生の 一覧(学生番号)が掲示してある。ホントにすごい数。そして実際に卒業後教職に就くのはせいぜい 二桁になるかどうかというのが現実。「改正」法施行後は、教員免許の取得を目指す学生は激減する に違いない。まずは資格を、という軽いノリではあまりにも代償が大きいからだ。見方を変えれば 、例えば経済学部・経済学科のようなところでは4年間学んでも有意な資格は何一つ取得できないことになる。教員免許だけがウリだったからだ。 資格至上主義のはびこる時勢にとっては好ましいことなのかしらん・・。