“ぷろ”の消滅2007年09月01日 08:49

高を括っていた、といえばそれまでのことだが・・。新聞で見たある本の広告が印象に残ったが、メモするまでもなく、大きな書店なら“感覚”で探せるだろうと思ったのがいけなかった。“感覚”に残っていた情報は「裏社会専門の弁護士が書いた本」「発行元は幻冬舎」。渋谷の大型書店に行った。平台をみまわす。新刊コーナー、話題の本コーナーにそれらしきものを直ぐには見つけられなかった。時間がなかったので店員(20代後半の男性)に聞いた。新聞の広告(いわゆる3段ぶちぬき)を見たふしはなかった。「著者名か書名はわからないですか?」と型どおりの質問をうける。それがわかっていたら苦労はない・・。ともあれ書店員はデータベースに向かう。待つこと数分。幻冬舎がここ数ヶ月の間に刊行したものの間にはそれらしきものはございません、ときた。時間が迫っていたのですぐあきらめて店を出た。それだけのことだ。ちなみに自分で検索したら数十秒もかからない。ともあれ、以前エントリーした「素人だらけの現代日本」に書いたことをあらためて痛感させられたのは事実だ。少なくとも直近1週間の大手新聞や書評新聞の広告や書評に取り上げられた本を掌握しておく、くらいは求めてみたいと思うが、いまでは無理になったようだ。

加藤紘一が書いた『強いリベラル』の紹介を『エコノミスト』で見た。ちょっと面白そうなので仙台の駅にある書店で確めようとした。これも直ぐ見当たらないので店員に尋ねた。検索するためにメモをとりながらしらっという。「リベラルというのはカタカナでしょうか?」。「ったく!」と思ったが、このご時世、ひらがなのリベラルというひねりもないわけでもない・・。と、すれば実はプロの店員だったのか?!でも、筆者はあの加藤紘一なのだからねぇ。

コメント

_ セントメリーのリボン ― 2007年09月10日 14:52

時々のぞかせていただいています。
本屋での出来事、わたしはもう当たり前のように受け止めていました。東京新宿区在住ですが10年くらい前からでしょうか、紀伊国屋や書泉などの店員も素人化されているように感じます。ジュンク堂が急成長なのも、あそこは専門知識のある店員が配置されているためだと思います。
以前のタクシーの一件も、昨今は急いでいる時にタクシーに乗るのは危ないと思っています。なぜなら、道を知らない運転手が多く、工事中にぶつかったり、渋滞にあっても路線変更しないからです。沖縄出身の運転手が多いのにも驚かされます。歌舞伎座へ行くのに、「どちらの」と聞かれた時には、シートからずり落ちそうになりました。
なんとなく思っていたことを明快にしていただき、ありがとうございました。

_ Spindletree ― 2007年09月12日 22:33

セントメリーのリボンさん、コメント有難うございます。ここまで「自己決定・自己責任」が浸透したということなのでしょうか?あるいは、目の前の“利益”というより直截に“もうけ”と言うべきものが何よりも大事という風潮が、シロウトでもかまわないというのを生み出したということなのでしょうか?もちろん、客は客でイチゲンさんが大きな顔をする、というのと見合った事態ととらえる必要がありそうですが・・。またお出かけ下さい。お待ちしております。

_ 小白川小僧 ― 2007年09月21日 12:10

 久しぶりに覗いてみました。
 本やにプロがいなくなった,育ちにくくなったのは経済環境,社会環境の変化が大きいと思います。

 経済環境の変化とは,店舗型書店の経営が苦しくなり,店員をプロとして育てる余裕がなくなったということです。
 書籍は再販価格制度が維持されていますので,マーケット,顧客を押さえていれば,安定的に利潤が上がり,店員を育てられそうなものですが,顧客を奪われています。
 部数をさばける週刊誌,コミックはコンビニでも売られています。単価の高い単行本や店頭にない本も合計1,500円以上ならAmazon.comが送料無料で届けてくれます。従来の本屋は繁華街に店舗を構えるだけコスト高なのにお客には逃げられています。店員の賃金を単なる人件費とみれば,アルバイト的に使い,教育投資も最低限しか行わないことになります(参入規制撤廃後のタクシー業界も同様)。
 社会環境の変化,あるいはむしろ文化の変化とは本屋に求められるものが名作,古典中心の誰でも知っておくべき教養から流行り廃りの激しい多種多様な情報に変化していることです。文化財から消費財へといいますか。仕事の合間に先輩から学んでいれば徐々に蓄積される,では済まなくなりました。新聞書評に載った本を求める人は今や少数派なのでしょう。この点では従来型のプロを求めるのは酷というものです(タクシーにもナビが着いている)。顧客側もネットを利用して簡単に下調べできますし,携帯電話のi-modeを用いればその場でも検索できます。
 とはいえ,少子化と新たな競争相手の挟み撃ちにあいマーケットが極端に収縮している田舎は別にして(うちの田舎にもセブンイレブンがある),仙台のような百万都市では書店経営は十分成り立つはずです。強力な競合相手した場合,自らの特性を認識して差別化すればマーケットを獲得可能だからです。ポイント制を導入したり,ネット店舗と提携して注文した本の受取り場所になることもできます(都会に多い仕事を持っている単身者は受取りが困難),本探しはネット検索の助けを借りればよいし,現にしています。ジュンク堂のようにその場で読む楽しみを提供するのも一手です。
 一言でいえば,経済社会環境の変化によりプロに求められるサービス内容が異なっています。顧客もある程度それに対応する必要はある(無い物ねだりは無理,失礼!)し,逆にそのことに自覚がない書店は淘汰されるでしょう。仙台駅の真ん前,ディストリアン・デッキの書店も撤退しましたね。もちろん,町村の書店はこうした流れを受けいれて対応せよでは済みないかも知れません。その場合には,町全体の負担で店舗型書店機能を維持することが必要となるでしょう。

_ Spindletree ― 2007年09月30日 23:28

小白川小僧さん。しばらくでした。コメント有難うございます。おっしゃるところの、経済環境の変化と社会環境の変化のループをどう読み解くのか、ということが肝心な点ではないかと思っております。書評に掲載された本であっても関心を持つ人は多くない、というのはその通りですね。本日(30日)、ある新聞に載った書評に興味が沸いたので夕食後に某大型書店に行ったところありました、ありました。ほとんど手付かず状態で・・。これが現実ですね。また、お出かけください。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://g-village.asablo.jp/blog/2007/09/01/1763008/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。