「巨人」としての「船場吉兆」か,「船場吉兆」としての「巨人」か2008年05月15日 16:05

新聞各紙の「おくやみ」欄に,湯木昭二朗の名が載っている。とりたてて解説めいた記事はない。ひっそりと,という形容がちょうどあてはまる感じである。紹介も,「吉兆」創業者湯木貞一の長女の配偶者であり,東京吉兆の元社長を務めた程度にとどまる。生前,「船場吉兆」の一連の不祥事についてはいかなる所懐をおもちだったのか。

きょうは木曜日。日経朝刊に豊田泰光がコラムを担当する日である。「大阪の料亭が焼き魚や刺し身のツマの食べ残しを盛り直して,別のお客に出していたという。」冒頭このように書いて,そのあとプロ野球の話を書く。「・・別のお客に出していたという。ふと頭に浮かんだのは巨人の野球」とつなぐのであるが,豊田の話が面白いのはこういうサプライズにある。

「船場吉兆」の不祥事と読売巨人に共通性を発見するのである。巨人は「よその球団が味を試した外国人やFA選手を取っては盛り直し,フィールドに出している」というわけである。船場吉兆の“ささやき女将”にいわせれば,自分のところのケースは客が「味を試した」ものではない,何を勘違いしている (~_~メ) ・・ブツブツとなるのであろうが,この際,誤差範囲と考えたい。要は,素材が旬に発揮する至高の力にまったく無頓着でいられるその無神経が問題なのだからである。儲け=勝ち,に行って全てを失う,という構図は凡庸そのものなのだが・・。