コラボレーションという困難2008年05月27日 12:01

色即是空,空即是色・・
フローリストとピアニストのコラボレーションというのに行って来た。フローリストは知人だが,公開のパフォーマンスを観るのは初めて。クリスチャンでもある彼が演技場として設定したのは寺の本堂。輪王寺という,伊達藩の庇護のもと,奥州でその名を馳せてきた曹洞宗の寺である。

で,そのパフォーマンスは・・。時間芸術のピアノとのコラボレーションであってみれば,フラワーアレンジメンも音の刻む時間の流れに共振するプロセスそのものを見せねばなるまい。が,フローリストの実際の動きの印象はいささか違った。ピアノのしらべは単なるBGMと化していた。BGMは,何回でも繰り返す。今回のピアノ演奏が,同じ曲をくりかえしたわけでもなく,フラワーアレンジメントが了となってなお音が継続したわけでもないが,ピアノ音がまるでエンドレスに継続するかのように聞こえた。花を活ける行為と流れるピアノ音はついに出会わなかった・・。

ピアノの音は,時間に密着し演者が鍵盤をたたくのをやめた時に収束する。その時,聴き手のなかに出現する表象が,完成したフラワーアレンジメントの世界と重なる。これが期待されるコラボレーションではなかったか。

コラボの主題は「般若心経からのインスピレーション」。“般若心経”といえば「色即是空、空即是色」。仏教というよりも東洋思想の真髄ともいうべき「空」と「色」は,やはりとんでもなく遠くに聳立する。