実直・愚直の「味」2008年09月04日 17:04

豊田泰光の「チェンジアップ」(日経朝刊)。きょうもなかなかいい味を出している。元巨人の川相昌弘を引き合いに出しつつ「実直・愚直」の魅力を説く。「一発逆転ホームランなどというドラマはそうは起こらないから,コツコツいかなくては,ということになるのだ」と言った上で「そういう野球で生きるのが」川相のような選手にほかならない,と。「通算犠打の世界記録は射幸心にあおられることのない野球の象徴」。「こういう一芸に秀でた選手が働ける間口の広さが,本来プロ野球にはあった。だが,下位打線でも本塁打を期待されるような粗い野球となった今」は,楽天のような選手層の薄い球団でなければ出番はなくなった。楽天のバント安打の達人,内村賢介はだから貴重なのだ,と続ける。

以前と比べれば,「下位打線でも本塁打を期待されるような粗い野球」と化した状況は,ひとりプロ野球だけに限らない。「本塁打が打てる」派手なプレーヤーをできるだけ揃える,可能な限り,そのレベルの選手だけで出場メンバーを決める,これがいろいろなフィールドに広がっている。均質であることを嫌い,多様であることをよしとする言説をあざ嗤うかのようにあまねく浸透している。

自民党総裁選もその典型例といっていい。マスメディアの受けがよく,笑いのパフォーマンスが期待できるプレーヤー。福田はその意味において端から条件を満たしていなかった。対して,アキバで人気のマンガ王,麻生は?ホント「粗い」なぁ,と誰もが思う・・。

57年前の9月4日。サンフランシスコで,吉田茂が日本全権代表となった「対日講和会議」が開かれた。4日後の「条約」締結で戦争状態は終結する。葉巻を口にした吉田茂の大写しの顔が,”TIME”の表紙を飾ったのもこのときだったか。孫の顔も?,それだけは勘弁,勘弁・・。

工業米というミステリー2008年09月09日 22:01

米(コメ)は,人間の食糧となるばかりでなく,飼料用に供せられるというのは常識である。しかし“工業米”なるものがあることを知っている者はそう多くはないのではないか。大阪の「三笠フーズ」という米穀加工販売会社が、工業用限定のコメ(工業米)を食用として転売していたことが明るみに出た。今回の報道を前提とする限り,工業米というのは,水没したり,基準値を超える残留農薬(冷凍餃子でその存在が知れ渡ったメタミドホス)やカビが検出されたため、食糧用としては使えず,工業用としてその使用を限定されたコメを指すようである。いいかえれば,事故米がすなわち工業米ということのようだ。

で,今回のことでよくわからないのは,例えば事故米が,輸入米だったということ。一方で減反政策を採りつつ,ミニマムアクセス米と称してコメを輸入していることが前提としてある。ミニマムアクセスについては,これを輸入義務と見る政府とあくまでも輸入枠の存在を言っているにすぎないとする見解が対立してきた。したがってコメの輸入を義務ととらえる政府に対するプレッシャーが奈辺から発しているのかが,まず問われるが,このことは次のような指摘が重要な意味をもつことを示唆する。すなわち「農水省は三笠フーズの不正を告発するタレコミなどを受け,04年度からの5年間で96回も工場の立ち入り調査を実施したにもかかわらず,転売の事実をまったく見抜けなかった」(日刊ゲンダイ 9/10号 本日発売)という指摘である。要するに立ち入り調査はすべて予告した上で行われ,抜き打ちの形はとらなかった事実が露見したというわけである。

工業米=事故米が,食用米として使われた事例として,まず焼酎が挙げられたが,今日になって日本酒(熊本の酒)にも広がりはじめた。これに煎餅やあられ,米粉を原料とする様々な食品も次々と含まれることになるのだろうか。

もちろん,そもそも工業米そのものの問題もある。工業米は,例えば工業用糊の原料となっているというからである。工業用の糊というのは,牛乳やジュースの紙パックに使用される糊であり,ヨーグルトやゼリー,プリンのふたを貼り付ける糊であり,切手の糊として使われているという。なんのことはない。ヒトの口に入る点では,それほどの違いはないのである。切手を貼るとき思いっきりなめちゃうひとって結構いるんじゃないですか?・・。

名人に二代無し2008年09月14日 23:18

名人に二代無しという。しかし,例えば,最近では立川志の輔が演じてうまい 落語「浜野矩随」のようなことがある。腰元彫りの名人浜野矩随の出来の悪い息子が,命を賭した母親の“からくり”によってついに入魂の作をこしらえるにいたる人情噺である。浜野の二代は名人の称号を欲しいままにした。

二代目の評判がすこぶる悪い。二代目が途中で政権を投げ出すのが二代続いた・・。

分子生物学者(DNA研究者)福岡伸一が,過日(8月21日付)日経の夕刊に「10000時間」というタイトルのエッセーを書いていた。分野を問わず,プロフェッショナルの多くは「皆,ある特殊な時間を共有している」ことを取り上げたものである。プロフェッショナルたちは「幼少時を起点として少なくとも10000時間,例外なくそのことだけに集中し専心したゆまぬ努力をしている」というのである。1日3時間だとすれば,1年で1000時間。10000時間をくぐりぬけるのには,いいかえればプロフェッショナルになるには,最低10年はかかることになる。

福岡は,人間のDNAの中には,名人の遺伝子というのは存在しない,という。ただ「DNAには,人を生かすための仕組みが書かれて」いるにすぎない。「プロ(名人)の子弟は,しばしば同じ道を進むことが多く」「一見,遺伝のように見える」。けれども「親はDNAではなく環境を与えている」だけなのだ。

さすれば,昨今の二代目のふがいなさも納得がいくというべきであろう。「育ち」がなかった。10000時間という育つための時間と無縁だった,のはどうみても明らか,だからである。

パックス・アメリカーナの完全な“終わり”2008年09月16日 22:31

アメリカの大手投資銀行(日本では「証券」の言い方が普通)のリーマン・ブラザーズが破綻した。一部メディアには早速「世界大恐慌」の大文字が躍った。1点だけ指摘しておきたい。ほかならない,アメリカ政府が,リーマン・ブラザーズを見殺しにしたのはなぜ?ということである。財務長官のポールソンが,これだけはという形で公的資金の注入を頑なに拒否した。彼は,投資銀行の最大手ゴールドマン・サックスの出身である。だからライヴァルを蹴落とした,というのではあまりに幼稚に過ぎる。リーマンの破綻は,世界の金融システムそのものの瓦解に直結しうるような性質の大問題だからである。だから,なぜ自己責任原則(市場原理主義)に執着したのか?3月のベアースターンズの時とは違って,そうしたきわめてナイーブなスタンスを選ばせたのは何か,が問われるのである。損失額が実は不明だからという問題を超えた問題ということになる。

アメリカのどの金融機関もサブプライムローン問題に淵源する深刻なマイナスを抱えている。ゴールドマン・サックスしかり,モルガン・スタンレーしかり。次は・・保険のAIGとも。商業銀行にしてアメリカ最大の金融機関のシティ・グループも例外ではない。もちろん,このシティ・グループの破綻は,アメリカ経済の終焉,世界金融恐慌と連動しうる。だから,公的資金の導入という最後の手段は,それまで温存する?

しかし,そうなると公的資金の原資をどうするか,の問題に直面する。税金収入に頼れればまだしも,かかる余裕は一切ない。とすれば国債の増発しかない。だが,アメリカ国債に投資するなどという殊勝なことをよしとする者は果たして今後も存在するだろうか?パックス・アメリカーナの完全な,したがって最終的な“終わり”というほかないのである。“新冷戦”などと構えている余裕はないというべきだろう。しかし,日本のメディアは,この大問題を昨日までほとんどまともに報道してこなかった,というのもとってもミステリアス・・。