「破調」の今昔2008年10月23日 22:18

きょうも,豊田泰光の日経コラム「チェンジアップ」から。間もなく始まる日本シリーズを念頭に「破調のおもしろみ」を書いている。4度日本シリーズに出場した豊田が,結構いい結果を残したのは知られている。そのせいか,「短期決戦の勝負強さ」の由来を尋ねられるのだという。それへの豊田なりの回答が「少々アクが強くて,日ごろ群れから離れている人間」であること。要は“ベンチ采配なにするものぞ”ということである。西鉄が,巨人相手に3連敗したあと4連勝してペナントを獲得したあの伝説の日本シリーズ。あれも実は「破調」の人,関口清治の一打がきっかけだったと,豊田はいう。第5戦も9回2死まで2-3の劣勢だった。2死後打順が回ってきたのが打撃絶不調の関口。その彼が,カウント1-3から,5球目を待たずに振りにいって,センター前のタイムリーを放つ。「巨人バッテリーは不振の打者の思わぬ積極性に,調子を狂わされ」,これが序曲となって伝説へと至った。セオリーは待球。それを「破調」の味を知るものが,エィっと超えたのであった。

豊田は「今は昔より組織の論理が優先され,攻撃の前に円陣を組んで狙い球を統一するケースも多い」という。ここが興味をそそる点ではあるまいかと思う。個性の尊重が叫ばれ,自立した個人を崇めるのが現在の風潮だからである。組織の論理に拘束されることを潔しとせず,個人のフリーハンドをかぎりなく追い求めることこそ何にも替え難いものだと信じ込まれているからである。

“世間にとけ込む”ことが善とされた昔はむしろ“世間にまじわらない”選手に注目が集まりつつ,その活躍が野球人気をささえ,“世間から一線を画す”のが好きと観念される現在は,“組織が命(いのち)”ととる選手の氾濫によって野球離れの拍車がかかる。

「自立する個人」の虚構はかくも根強いのが現在というべきなのであろう。

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