2009年,どんな年に?2009年01月03日 21:10

新年を迎えたと思ったら,もう3日。元日のいくつかの新聞の社説を見た。読売が「新自由主義の崩落」を論じ,朝日も「新自由主義と市場の失敗」が,分厚い形で存在してきた中間層の消滅に帰結したことを取り上げている。毎日は,「アメリカ型金融主導資本主義」からの転換を展望しつつ「人に優しい経済社会」にのぞみを託し,ブロック紙の河北新報が,虚の経済から実の経済へのギアの切り替えを訴えた。いずれも,金融恐慌から経済総体の恐慌へという現実をにらんだ議論にほかならない。これに対して,日経だけは,「市場原理」にたいする“信仰”の継続を求めるスタンスを明らかにしている。

市場原理一辺倒の弊害は,もはや疑いようはない。世界史の転換といえるような動きが視覚に入ってきた。これが「オバマ現象」どまりになるのか,この「現象」を超えてさらに先に進むのか,はもちろんわからない。この国でも,今年はいずれ総選挙があるが,せいぜい「オバマ現象」次元で収束して,その先に進むことはないとみるのが現実的だ。

その意味からも,元日のNHKラジオの「ラジオ巻頭言・もう一つの日本」は興趣を添えた。出演者のなかに冷戦体制崩壊の直後,ローマ法王に「社会主義の弊害・資本主義の幻想」を説いた経済学者宇沢弘文がいた。宇沢はいう。概ね1970年代以降の経済は,実は人間の基本的自由が制限され,所得分配の偏りが進み,投機的動機が支配するといった特徴をもっていた。だから「社会的共通資本」を重視する経済社会への転換が必要なのだと。この宇沢の持論に対して,内田樹が,宇沢の主張はもっともだとしつつ,要は「あらゆるシステムは不完全であり,したがって不完全を補完するサブシステムをどう準備するか,がカギ」というようなコメントをしていた。「オバマ現象」の「次」を構想するconvivialityを喚起してくれる,そんな指摘だったように思う・・(*^.^*)。いずれ,2009年は歴史転換の年になるだろう。