一物一価という「神話」(?)2009年01月31日 13:07

いま目の前にある商品の値段が,他に比べて「安い」か「安くないか」が瞬時にわかるワザがうけているのだそうだ(昨日の日経「消費」面)。店頭にある商品のバーコードを自分のケイタイで読み取ると価格比較サイトのデータベースにある最安値が表示されるのだという。さっそく専用アプリをダウンロードして,試してみた。最安値とその価格で販売している店の情報があらわれた。最安値で販売している店がすべて対応しているとは限らないが,ケイタイから即発注することもできる。いわばケイタイ通販ということになる。店を営む者からすれば非常に脅威なワザであろう。店に陳列した商品が,価格情報(最安値情報)を取得するきっかけを与え,客はそこで購入することなく去っていくだけなのだから。いわゆる究極のウィンドー・ショッピングである。実に「実(身)も蓋もない話」なのである。合理性、しかも経済的と冠のつく合理性が瀰漫する状況にほかならないからである。人は、いまでは「人間」である前に貨幣所有者であり、消費者として存在するようになった。ホモサピエンスというよりもホモエコノミクスというわけである。

しかし、例えば、インターネットの普及は,商品価格について「一物一価」を実現すると見られてきたが、実際にはそうなっていないことに注目すべきであろう。つまり、Web情報によって,同じ商品に異なる価格がついているのが明らかになれば,ユーザーは最も低価格で販売しているところから購入するはずであり,結局のところその価格が商品の価格となる,という考えがそのまま現実となっているわけではないのである。人は、経済的合理性なる行動準拠を意識しつつも、それぞれの行動には異なる駆動力がはたらく。いいかえれば経済的には非合理というほかないファクターを駆使しながらモノを手にするのである。なじみの店というのがそうだし、雰囲気を感じて入る店というのもそうだし、冷やかしで覗いたものの店を出る時には包み紙を持っていたというのもそうだろう。

そうだとすれば、ケイタイ「価格.コム」の脅威というのも、想像するほどのものなのか・・。長らくさがしていたモノがふと入った店にあったとしたら。ケイタイで価格比較などという野暮は・・。