どこまで増殖?「バイト大好き学生」2009年04月28日 22:23

内田樹が(『アエラ』最新号の担当コラムで),
昨今の大学生を挑発している。
感情を逆なでしているともいえる。
これが小気味いい。
いわく,学生はできるだけ長い時間キャンパスで過ごすべし。
いわく,できるだけアルバイトをやめるべし。
まったく同感である。

バイトに精を出す学生のなんと多いことか。
バイトから解放されているのはごくわずかに過ぎない。
先日,あるゼミ生は,
3種類のバイトを使い分けていると
平然と言い放った。
コンビニ,
試合のある日の楽天の売り子,
家庭教師,なのだそうだ。
別の学生も,
バイトのはしごで
睡眠時間が毎日3,4時間と
けろりと宣ふ。
彼ら/彼女たちは
“苦学生”の範疇には入らない。
ゼミ生で,
学資を得るためにバイトをするというのは
きわめて稀である。
本当に窮している学生は,
ゼミはもちろん,
授業への出席もかなわない。

バイトに励む理由はさまざま。
仕事するのが好き,
買いたいモノがある,
みんながしている,
社会勉強,
友だちとつきあうのにお金が要るetc.

むろん,こうして手に入れたバイト料を
教科書購入につぎ込むなどということはやらない。

かつては教科書に加え,
もっぱら古本屋で見つけた様々な書物を
濫読してはいっぱしの口をきくのが
スタイルであった。
お手上げの試験問題が出れば,
「それはさておき」とうそぶきながら,
日ごろの読書の成果を
その“薀蓄”を
時間一杯書き散らしたものである。
採点する者は,それを面白がった。
楽しんだ。

時は移り,
何はともあれ
教科書だけはそろえるという状況が
しばらく続いた。
これが今では,
教科書も疎ましい対象へと
転じたのである。
本は難しい。
考えないと読めない。
それはやりたくない。
文字だらけの教科書は一番ウザい。

要するに,
バイトに没頭する時間こそが
“考える苦役”から解放される
最もシアワセな時間なのである。
しかも,そのシアワセを,
はした銭が増幅する。
そして・・,
ヨリいっそうシアワセな消費者としてのワレが聳え立つ。

いいかえれば,〈バイトの罠〉の完成。
内田の「できるだけアルバイトをやめるべし」が
空言にひびいてくる。
が,内田の言はきわめて含蓄に富むというべきである。
「できるだけバイトをよしなさい」が
「学生は『貧乏ベース』で生活設計すべき」と
セットになっているからである。

“考える苦役”をひきうけるワレの回路,
『貧乏』にあり!?なのである。