初めての琉球(沖縄)2009年11月04日 12:38

象の檻,のあと
名桜大学(名護市)で,
学会(日本流通学会)があり,
沖縄に行ってきた。
沖縄は初めて。
二日間のスケジュールの後,
駆け足で各地をまわった。

美ら海水族館などはパスし,
辺野古,嘉手納,普天間などをあえて選んだ。
旅の者,訪問者としての気後れは,
棚にあげた。
読谷村の米軍楚辺通信所の跡地にも行った。
通称“象の檻”といわれた,
あの土地である。
知花昌一氏の名とともに知られている所だが,
現場を見てちょっと驚いた。
いまは地元(読谷村波平地区)の人だけに開放された
空間になっていた(上の写真)。
ゴルフのボールをたたいている
おじさんが一人。
もはや米軍施設があったことを
うかがわせるものは一切なかった。

嘉手納基地の横には
「道の駅かでな」があった。
屋上の展望台から,
嘉手納基地が見渡せるようになっている。
望遠鏡まであった。
基地には高いフェンスが
張り巡らせられているので,
基地が一望できるというのは,
したたかなアイデアである。
巨大な米軍戦闘機が,
すぐそこに着地した。
“あの当時”,
米のB52は,
「ここからベトナムに直接飛んだ」
ということをあらためて想像した。

普天間は高いフェンスに囲まれ,
中をうかがい知ることはできなかった。
地図では空白となっている。
“移転”問題とは何かが,
頭の中をグルグルまわった。

“沖縄戦終焉の地”となった
摩文仁の丘にある「平和祈念公園」。
資料館に展示されているなかに
反戦・反基地闘争における
急進派(ラディカル派)の資料などは見当たらず。
いささかの違和感。

沖縄は,
固有の文化をもった空間である。
土地の人たちに
たゆたう時間の流れは
まことに魅力にあふれる。
地元でいただく泡盛は,
どこまでも鷹揚で,
身体をあたたかく包み込んでくれた。
私には,普段そのよそよそしさが疎ましく感じられる泡盛に,
まったく別の
まぁるくて,
柔和な性格があるのを初めて知った。
ささ機嫌を感じたひとときであった。

帰宅したら,最近長篇『カデナ』を上梓した
池澤夏樹のインタビューを
載せた『週刊読書人』が届いていた。
偶然のめぐりあわせ。

89と682009年11月10日 21:49

1968年から1989年へ
昨日は,「ベルリンの壁」が崩壊してちょうど20年。
現地では様々なイベントが企画されたようだ
1989年は世界史的転換の年であった。
日本の昭和の終焉。
中国の「天安門」。
ポーランドの「連帯」。
そして「ベルリンの壁崩壊」。
さらに・・。
12月には,パパ・ブッシュとゴルビーの,
いわゆるマルタ会談(「冷戦終結宣言」)。
その数週間後,ルーマニアでチャウシェスク政権が崩壊した。

ドラスティックかつドラマティックな1年だった。

ドラマティックといえば,
チャウシェスクが公開処刑された時の,
ある映像が記憶に鮮明に残っている。
それは,
若い男性が,数字を書き入れたプラカードを
頭上にかかげたシーン。
数字は,この年を指す「89」。
これを徐々に頭の上で回転させた。
そしてあらわれたのが「68」。
つまり1989年は,
1968年にスタートした
世界史のダイナミズムの
到達点なのだという強烈な
メッセージであった。
TVの画面を見て震えた。

1968年こそ「プラハの春」の年だったからである。

最近「1968年」がブームである。
1968をタイトルにした,
ないしタイトルの一部にした
書物が次々と刊行される。
小熊英二の大著(上,下)やら,
『1968年に日本と世界で起こったこと』やら,
『村上春樹と小阪修平の1968年』やら。
これらの底流にあるのは,
「現代」の始原こそ1968年という主張である。

しかし,わたしたちは,すでに四半世紀以上も前に
ガタリ&ネグリが「革命は一九六八年に始まった」(”Les nouveaux espaces de liberté”)
と喝破したことを知っている。
「プラハの春」だけではなく,
世界規模で広がった学生叛乱
(フランスで,ドイツで,アメリカで,日本で・・)。
しかも,この年,
金ドル体制の崩壊(「金の二重価格制実施」)
という形で,
東西冷戦体制をコア部分とする
「パックス・ルッソ・アメリカーナ」なる
世界政治経済システムそのものが崩れゆくドラマもあった。
忘れるはずのない「年」だったのである。

それにしてもである。
「ベルリンの壁」を設けたのは誰?の問いに、
ロシアの若者の6割が,
「わからない」と答えるらしい。
20年は半端な時間ではないのである。

安部公房が愛読書という高校生2009年11月17日 22:13

AO入試や推薦入試の最終チェックが終了した。
いまは8月終わりのAO入試から始まり,
様々な試験が次々行われる。
昔ながらの2月,3月に行われる
一般入試で入学するものは
全体の約半分に過ぎない。
もっとも,半分を占めるといっても,
一般入試以外の方法による入学者は,
過半を占めてはならない
という文科省の達しがあればこそであり,
この制限を取り払ったら
多くの大学では
一般入試は有名無実になってしまうだろう。
それはともあれ,
先日の「最終チェック」作業。
受験生の作業は
「作文」と「面接」。
当方は「面接」を担当した。

そこで思わずふきだしたこと。
1つは,
わたしが受験生に
「毎日,新聞を読んでますか?」と尋ねた時。
受験生が答えた。「読んでません」
わたし「新聞は読まないのですね?」。
受験生「いーえ,読んでます」。
わたし「??」。
どうもわたしは
「『毎日新聞』を読んでますか?」
と言ってしまったようだった・・。

もう1つ。
志願書に,
将来どんな仕事に就きたいか
を書かせるというのがあった。
ある女子高生の記入は
「国税税務官」。
なぜ?と問うと
「母親の好きな映画の影響を受けたから」と。
「映画というのは『マルサの女』?」
ときけば
「そうです!」。
笑ってはならないのである。
しかし,それにしても・・・。

そしてもう1つ。
これまた
なぜ記入させるのかの真意は不明なのだが,
志願書に「愛読書」を
書かせる欄があった。
「人間失格」やら
「銀河鉄道の夜」やら
「ねじまき鳥クロニクル」やらが出てくる。
ところが,
ある受験生の記入欄にあったのは
『密会』。
「?」
「これは誰が書いた作品ですか?」
答えは「安部公房です」。
思わずつっこむ。
「安部公房の『密会』が愛読書?」
「はい,そうです」
「いまどきの高校生には珍しいですねぇ?」
「いや,そんなことはありません」
「・・・」
「安部公房は教科書に載ってますから」。
いや~,いまや,そういう時代なのである・・。

れんぼうは,らんぼう(?)2009年11月25日 18:51

れんぼうは,らんぼう
七色れいんぼう,単色れんぼう
れんぼ,れんぼ,よこれんぼ れんぼう,れんぼうあばれんぼう
暴れん坊は“あば”蓮舫,ってか!
とでも囃したくなるシーンが続く。


行政刷新会議「事業仕分け」の
第2ラウンドが始まった。
昨日から今日にかけ,
テレビでは報道番組だけでなく,
ワイドショーなどでも大きく取り上げた。
Webでも生中継が行われている
昨日の傍聴人は,1,500人を超えた
というから驚く。
第1ラウンド初日の傍聴者は,
数えるほどだったのとはえらい違いである。
昨日の傍聴者に,
横浜から来たという
小学生の男の子がいた。
「なぜ,傍聴に?」との問いに
「れんぼーさんの,つっこみがみたかったから」。
傍聴後のインタビューには
「れんぼーさんの,するどいツッコミが見れて,来て良かったです」。
すごい小学生である。

しかし,小学生の男の子を
「事業仕分け」の傍聴に動員した
“れんぼう”はもっとすごい。

そして,れんぼうの凄さを引き出したということで,
さらにすごい,っていうか,
れんぼうの存在感を高めてしまったのが
「国立女性教育会館」の理事長である。

「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外です」と,
れんぼうに迫ったあの方である


「仕分け」作業における,
れんぼうのぜんぼうを
あますところなく伝え,
出色の出来栄えなのが
小田嶋隆のWeb記事
全文を読むには
多少の手続が要るが,
その手間をかけるだけの価値は十分にある。
抱腹絶倒疑いなし。

ところで,小田嶋は,
れんぼうの対応,しぐさには,
いささか否定的というか
複雑なというか,
そんな視線を注いでいるものの,
「仕分け」そのものには,
必要なこと,やらねばならないこと
というスタンスをとっている。
確かに,政府予算の無駄を省く,
というのだから,
異議を唱えるのは難しい。

しかし,ことはそう単純なことではない
ことも知っておくべきだろう。
予算執行の仕組みそのものに内在するムダ
(とくに縦割りにともなう重複とか,
予算の執行には条件が不可欠だが,
その条件を担保すべき
他の省庁の動きがないとか,
多種多様なムダ)は,
間違いなくある。
これは削除すべきである。

しかし,今回の「仕分け」は,
いささからんぼうではないか
と思わせるやり方が
支配的であるようにも思う。
例えばスパコンの開発予算の凍結
というのに象徴されるように,
判断基準が
「目の前にある現実」にしばられている。
あるいは「ビジネス的基準」といいかえてもよい。
「企業だったら,そんなことはしませんよ」
という物言いになるのである。

政府は,企業ではないから存在する,
国の「原理」と
企業の「原理」は違う,
ということが認識されていないのである。

らんぼう,
というのはこの意味なのである。
単色れんぼう,
というのはこの意味なのである。