脱ゆとり教育の行方2010年03月31日 22:34

今朝の新聞は,小学校教科書の「文科省検定」を取り上げた。
とくに朝日は多くの紙面を割いて紹介している。
1年後に始まる「脱ゆとり教育」を意識した記事となっている。
朝日が注目するのは,教科書のページ数が大幅に増加すること。
一面トップに「全教科合計で25%増」とある。
社会面の見出しは「分厚い教科書 先生大変」であり,
「教えきれるか心配」である。

しかし,これでは表面の問題をあげつらっているに過ぎない。
いいかえれば,そもそも「ゆとり」へと転換した背景は何だったのか,
それのどこに問題があったのか,
を突き止めようとする視点が希薄なのである。

脱ゆとりのきっかけとなったのは,
OECDPISA調査というのが大方の見方である。
同調査は「読解や数学の力を生活の場で応用できるかを問う」
ところに特徴がある。
日本の子どもたちには,この「応用する力」,
「活用する力」が欠けているという結果が出たがゆえに
「すわ大事!」となった。

しかし,ゆとり教育こそ「読解や数学の力を生活の場で応用する」
のを目ざしていたのではなかったか。
ゆとり教育の汚名を一身に背負ってきた円周率も,
生活の場面での「応用」を念頭におかれたものであったときく。
二人のこどもが手をつないだらちょうど木のまわりと重なった。
両手を伸ばした長さは概ね身長と同じだから,
二人の身長をあわせて270センチだとすれば,
3で割ったら木の直径は大体90センチと分かるでしょ,
ということである。
生活日常で「使ってみるたのしさ」が想像されるというべきであろう。

ゆとり教育の仕掛け人として評判が悪い寺脇研が,
最近テレビではこんなことも言っていた。
「最近の子どもは,鎌倉幕府ができた年号も言えない,といわれるが,
それはある意味,当然である。なぜなら,鎌倉幕府はある時突然出来
たわけではなく,
10年近い時間の経過のなかで形成されたのであり,
1192年というのはその集大成として源頼朝が征夷大将軍についた年
でしかないからである」。

つまり,ゆとり教育の考えが,結局空振りに終わったことに眼を向け
るべきなのである。それは,つづめていえば,教育の哲学が理解され
なかったからであり,教育の方法が明確でなかったからではないか。

このあたりをおさえないと,脱ゆとりへの転換も,つめこみ教育復活!
ということになってお終いとなるのは,いまから目に見えるようである。