相撲が「スモー」になる日2010年07月19日 18:02

大相撲をめぐる様々な報道が連日続く。
1枚50円の番付表が,ネットオークション
では,2,000円になったという。
削除されるべき琴光喜の名が入っている
という理由だけで値が40倍!になる異常。

最新の『週刊・金曜日』の「投書欄」。
ある投稿者が,昔,横綱大鵬は「田岡一雄親分か
ら贈られた『田岡と書かれた菱形代紋の化粧
回し』を着けていた」とばらしている。
(そういえば,大嶽親方は大鵬の女婿だった・・)
だが,そこに否定的なニュアンスはない。
大相撲は,本来「相撲茶屋」に大金を払い,
いわば儀式が済んだ者だけがやっと観ることができる
贅沢な遊びだった,と続くだけである。
そうした贅を尽くした遊びの
希少価値を担保していたものこそ
ヤクザ屋さんたちであり,だからいまさら・・と
言っているのである。

こうした大相撲観は,先日(7月7日),朝日新聞に
寄せた小沢昭一の言い分と通底している。
小沢昭一はいう。
神事から始まった相撲は江戸の終わりに,
両国の回向院で常打ちが行われるようになった。
明治には,断髪令で一般人は髷を落としたが,
ちょんまげに裸で取っ組み合う相撲はそのまま続いた。
伝統芸能だからこそ残った。
芸能の魅力というのは,
一般の常識社会と離れたところの,遊びとしての魅力
にほかならない。
大相撲という興行の本質を知らない者が,スポーツとか
国技という観点からこれを喋喋する。
こうして大相撲も,問題が起こる度に少しずつ扉が
開いて,一般社会に近づく結果となる。

そして,小沢昭一は「大相撲もクリーンとやらの
仲間入りか。寂しいなぁ。」と言葉を括るのである。


ムダを徹底して取り除き,グレイゾーンを許さず,
ひたすら透明であることを価値の頂におく現在の社会
(その淵源となっているのが「株主価値の最大化」であろう。
株主価値を最大化する最良の武器,それがクリーンであり,
透明性の確保だ,というわけであるから)。

相撲が,スモーとして純粋スポーツとなり,勝つか負けるか
の二項対立の範となる・・。
塩を撒く無意味,にらみあう時間的無駄の
排除が喝采される日・・。
髷が不合理の象徴となり,力士が単なるプレーヤとなる日。

NHKは,実況中継をやめ,
“勝負”そのものだけを流すダイジェスト版をはじめた。
これが,結構受けているらしい  Ach!