アウラ(aura)考2010年07月27日 16:11

10分も歩くと眩暈に襲われるような気がする。暑さのせいである。
昨年は、梅雨明け宣言がでぬ間に秋を迎えた。
今年は違う。とにかく猛暑である。暑い!
ギンギンに冷えた部屋が好ましいと思った時期があった。
いまは自然の風が心地好い。しかし、その風がそよともせず、
熱波だけが部屋を漂う。そこで外に出る。すると眩暈に遭遇するのである。

今朝の河北新報(共同通信配信)に辺見庸が「最後に見た『アウラ』」
なる一文を寄せている。

辺見が、最後にアウラを見たのは、彼が共同通信の記者だった
1980年9月3日。北京空港においてだった。彼は書く。

アウラの主は、当時まだ六十七だったが「歩行もままならいボロボロ
の老人であった」。「なにがあったか片眼が半ゆでの卵白みたいに白
くにごり、耳もほとんど聞こえないようすで、あごをあげ鶏のように
やせた首を左右にふって人の気配をあなぐるのだった。」
「記者たちの最前列にたった私はありったけの大声で問うた。
『伊藤律さんですかあ』。」
「問いに応じるのではなく、みずから
『私が伊藤律です』とはっきり名のり『祖国のかたがたにお会いし
て懐かしくぞんじます』とつづけた。」「『ソコク』の発音に血が
にじんでいる気がした。老人の声はふるえていた。凛とした芯と艶
があった。無残に傷んだからだからは、暈というか磁気というのか、
視えない胆力と品位のようなものが放射されていた。そしてほんの
かすかに性的ななにかが。」

アウラ(aura=オーラ)は、漢字だと「暈」となる!
すごい想像力ではないか。

辺見は、アウラについての箴言をベンヤミンから借りている。
「どれほど近くにであれ、ある遠さが一回的にあらわれる」。

アウラとは「暈」のことだとすれば、「眩暈」は何というのか?
暑さの中で覚える「眩暈」は・・。
えっ?ヘタレ?  (^^;)