機能合理化の果て2010年10月19日 19:23

試験の点数が高ければ良い、
単位が取れれば言うことはない。
学力、知力をまとうことが問題なのではない。
点数獲得機能だけが関心事なのである。

美しく見えればそれで良い。
中からにじみ出る美が問題なのではない。
美しさを示す機能だけが関心事なのである。

儲けが多ければ良い。
自分の利益が守られれば不満はない。
他者を顧みる、環境を考えることが眼中にあるのではない。
利潤獲得機能だけが関心事なのである。

物体を破壊できればそれでよい。
物体が人間であることが問題なのではない。
物体が意思をもつ実在であることが問題なのではない。
物体を“殺す”機能だけが関心事なのである。
絶対に反撃がありえない「安全地帯」から、
つまり標的から1万2千キロ離れたところから、
モニターを凝視しつつ、
アフガニスタンの貧者兵攻撃のボタンを操作する米兵。
ゲームと違うのは、「向こうには」生きた人間がいること、
と薄笑いを浮かべながら嘯(うそぶ)く女性米兵。

対して、
貧者の兵器は、
旧式の銃と爆弾。たったそれだけ。
ただし、「自爆」将軍が爆弾を操る。
貧者の究極の兵器は「自爆」なのである。
「絶望」が生み出した Last Resort。

ロボット兵器に対して、
あるいはそれを操るはるか遠くにいる米兵に対する
「反撃」は不可能である。
しかし「報復」を止めることも不可能ではある。
しかも「報復」の場所は選ばないと想像し得る。
薄笑いを浮かべた米兵ははたして安全なのか・・。
彼ら/彼女たちの安泰は間違いないのか・・。

とまれ、
機能合理化という近代のプロジェクトは、
ITを満載したハイテク兵器(ロボット兵器)
によってここまで運ばれてしまったのである。
実に悍(おぞま)しいModerne。