カタクリの花と白熱議論2011年05月06日 12:16

大学の教養部以来,
ご指導をいただいている
先生の運営する「館」
がある。

声をかけていただき,
一昨日お邪魔してきた。
前回は昨年の夏,猛暑時。

「館」に隣接する山地には,
まだカタクリの花が,ひらいていた。
かたくりの花
巨大地震をくぐって咲いた
矜恃が感じられた。
カタクリの花は,
英語ではdogtooth violet。
和語からうける
イメージとの落差が面白い。

夜は,
ポストFukushimaを睨んだ
オルタナティブ社会の議論。
昔風に言えば〈革命論〉。

結局,泊まりこみとあいなった。





緊急シンポジウム2011年04月20日 20:35

前回,
「外に出て、何かをする準備が遅まきながらできた。」
と書いた。
その「外に出る」ことになるのか,
と問われれば,自信はないが,
先週末,
東北本線と福島からは新幹線を乗り継いで上京し,
「今、日本で何が起こっているか―3・11大震災と福島原発事故を考え
る」という緊急シンポジウム(緊急集会)で発言してきた。
大震災と原発という問題に直面して,
これからいったいどのような方向を考えることができるのか,
を提起してみたいと思ったからである。

ポイントは,
巷間いわれる
「巨大地震・大津波・原発」の三大苦とか,
「風評被害」を加えた災禍四点セット
というだけでは,
現実をとらえたことにはならないという点。
震災当日の「寒さ」(雪が降り,翌朝は氷点下
にまで下がった)という「苦」が加わり,

これからのありうべき社会
という観点からは,
「被災格差」とでもいうべき
社会的現実を直視しなければならず,

さらに,
そもそも近代以降,
日本資本主義において
「東北」という地理空間が
いかなる位置づけを与えられてきたのか,
このことと今回の自然災害とを
繫げてとらえかえさなければという点を強調した。

それゆえに,
「東北」から新しい社会を構想する必要があるし,
構想すべきであると、最後に主張した。
それはまさに“A Calm Revolution”(静かなる革命)
とよぶべき運動なのではないかと・・。
なによりも"効率”を優先するひ弱な社会ではなく、
人と人が小さな地域を軸につながる社会、
ムダを否定せず、これを受け入れる社会etc.

だからキャッチコピーは
“震災を静かなる革命に転化せよ!!”


ガクセイうんどう2010年08月18日 21:41

時間の流れが速すぎ,ブログの更新が滞りがちである。
それはともあれ,
連日続く猛暑にも拘わらず,とっても珍しい出来事があった。

4月からゼミ生となったH君が突然部屋に訪ねてきた。
「相談したいことがあるのですが,いま,よろしいでしょうか?」
「いいですよぉ,どぅ~ぞ」
「実は,ぼく“学生運動”をやってみようかなと思って・・」
「んっ?ガ,ガクセイうんどう!」
「1960年代と1970年代に書かれた本を何冊か読みました。
そうしたら,今ぼくのやりたいことは,どうもその時代の
大学生がやっていたこととカブるんです」
「ほーっ!そうなの・・。で,重なるというのは,具体的に
どんな点?」
「大学の枠をこえて,学生が一堂に会し,社会のための
一大ムーブメントを起こす,ということです・・」

どうやら中味というよりも形というか,外見から理解した模様である。

「学生がある場所にあつまって,社会のために何か,する,
というのがやってみたいガクセイうんどう,っていうこと?」
「そうです。仙台だったら,例えばK台公園に数千人の学生が
集合し,チャリティのためのイベントを行うということです」
「学生運動というのはチャリティ活動である,と理解した
ということね?」
「はい。公園のあるブロックではコンサートをやり,他の
ブロックには飲食店を並べ,さらにFlea Marketなんかも企画
する。売上は原則,社会福祉とか海外飢餓救済のために充てる
というようなことを考えてます」
「なるほど」
「いま周りの学生たちは,遊ぶことかバイトにしか興味がないようです。
勉強するなんてヤツは皆無です。もちろん本を読むなんてこともしま
せん。そんな学生生活でいいのだろうか,それで大学出たところで何か
意味があるのだろうか,と思っていたのです。そうしたらY県のT芸術工
科大に通っているgirl friendがまったく同じようなことを考えていたの
で,話がはずみ,どうすればいい?何かできないかな?昔,学生運動と
いうのがあったらしい,ということになって,さきほど申し上げたよう
なイメージになったという次第です」

「面白そうじゃないの。21世紀型学生運動,ま,いいかたももう少し
変えてもいいと思うけど,学生運動のネオタイプがあってもいいのじゃ
ないかな。ただ,コンサートとか飲食店とかフリーマーケットといった
月並みな発想を超えてまったく新しい,いまの学生を振り向かせられる
ような,しかも社会への関心を惹きつけられるような企画を考えてみた
らどうだろう?」
「彼女と一緒に考えてみます。また来ます」

大学が変貌し,大学生が変質し,学生運動がほぼ消えて久しい。
はたして彼は彼女と一緒に,クリエイティブで新しい「学生運動」
を思いつくだろうか?

たまたま書棚に目を向けたら長崎浩『叛乱論』が目に止まった Ach!



「始末がいい暮らし」2009年07月02日 19:15

朝日のコラムの1つに
「経済気象台」がある。
あまりいい評判はきかないコラムではある。
それはともあれ,
きょうのタイトルは「『始末がいい暮らし』の味方」。
〈始末がいい〉というのは,
質素,つつましいというほどの意味。
と,すれば今日日,
「質素な暮らし」の味方,
って何だろうか,と興味がわいた。

正体は,割れた煎餅とか破れた海苔などを
格安で提供する店だった。
時分柄という意味でいえば,
さしずめ桜ん坊のバラ詰めが思い浮かぶ。

以前,目下の経済危機(大不況)下でも売れる品々について
エントリーしたが,
そこではいわゆるワケアリ商品が
安い売価のせいで
人気を得ているというのに注目したのであった。
いいかえれば,景気の回復が進めば,
後景に退く性質の現象ということである。

それに対して,
「始末がいい暮らし」の味方,の場合は
生活様式,生活観に接続するような現象と見られる。
曲がった胡瓜よし,
ふぞろいの林檎異議ナシ,
の世界なのである。
「均質・標準・均整」志向からの離脱。
それが仕掛けられた多様化の陥穽とは無縁であるのならば期待がもてよう。

この同じ朝刊の投稿欄(声)に,
かつてコンビニエンス・ストアのオーナーだった方が,
例の「セブンイレブンの値引き問題」
について書いている。
「もったいない」「廃棄をなくせ」というが,
コンビニが競争社会で生き残るためには,
他店よりも常に
新しい商品(製造間もない商品)を置くことが
不可欠だということを知るべき,
というのがその主張。
つまり賞味期限が来た商品を廃棄するのを
「もったいない」という消費者に,
賞味期限が一番あとの,
新しい商品を探して買う
というのをやっていないか,
と問うているのである。
消費者が,
市場における競争原理を
appeaseするような
生活観をもつことの意味を
訴えているのである。

棚の奥に手を伸ばして,
後入れ商品を探るようなことは
厳に慎まなければならないのである。
反省 (;^_^A  。