「中国」と「秋雨」2007年11月10日 22:01

「中国」そして「秋雨」とくれば,どうしても武田泰淳の小説を思い出す。清朝打倒の武装蜂起を画した廉で斬首処刑された秋瑾女史を主題とする,あの『秋風秋雨人を愁殺す』である。今朝,NHKテレビを見ていてふとそんなことを連想した。というのは「原題が“秋雨”(Autumnal Rain)」という,日本人女優が主演する映画「北京の恋」が取り上げられていたからである。

ところで,この「北京の恋」。清朝末期とは全然関係なく,舞台は現代。京劇にはまってその勉強をする日本の女の子と,やはり役者修業の身の中国人の男の子が出てくる話で,背景には祖父の時代の「中日戦争」の影が・・という,聞いた限りではいささか凡庸な組立の映画に過ぎないと思われた。

では,なぜ今朝見たテレビが印象に残ったのか,といえば,主演の前田知恵という俳優の感性が,まさにいまの中国のプレゼンスを象徴しているように思われたからだ。彼女は,高校の時に映画の仕事をしたいと思い始めたが,これまでの役者志向の日本人とは違って,ハリウッドとかヨーロッパの映画ではなく,中国映画にこそ未来があると確信したというのである。ここが面白い。高校を出て直ぐに,単身北京に向かい,中国語の研修を1年ほど受け,ついに中国で映画を学ぶとすれば最高峰の大学といわれる北京電影学院の演劇科に100倍の難関を突破して合格する。外国人初の本科生だったという。

島田雅彦が,昨日の河北新報(「現代の視座」)に,最近中国を訪れたことを書いていた。日中合作映画にシナリオを提供した関係で,中国電影界の実態を見てまわったが,中国は「目下,映画の黄金時代というべき活況を見せつけられた。」「いずれ,日本の監督や俳優たちも中国電影界に雇われ,アジアン・スタンダードの映画作りに奉仕するようになるのは確実だと思った」とまで言い切っている。とすれば,その先駆者こそ前田知恵という俳優なのだろうか。この俳優,これから露出度を高めてきそうな予感がする。

インドのこと―補足2006年09月20日 11:46

インドについて2つほど補足しておく。1つは、インフラが質量ともにまったく話にならない という点。1つは、労働組合の“重さ”という点。

まずインフラについて。帰国間際 に無線LANスポットを求めて彷徨したことは、昨日「『インドにて―その8』がぬけた事情 ―」 としてエントリーした。「フツーはそこまでやらない」のをあえて試みたのは、インドの主要 空港の通信インフラの現実を確認したかったというのが最大の理由だった。非常に不便、という のを実感した。成田に着いて、成田エクスプレスで東京駅に向かう際に、ネット接続ができるの とはわけが違う。インドにおける通信インフラの現状は、“IT先進国”の実態が奈辺にあるのか を示唆しているように思う。通信インフラばかりではない。道路の実状はもっと酷い。例えば「インドに て―その6」にも書いたように、モータリゼーションに対応可能な道路は極端に言えば幹線道路 だけだ。大都市のデリー、ムンバイ、プネ、バンガロール、チェンマイ、コルカタを結ぶ国道(実態は産業道路)がそれ。他は非常に質が悪い。モータリゼーションをこのまま推進拡大することに伴う 負の問題を考える必要はあるが、自動車も社会の一要素として位置づけるのであれば、きわめて 重要な問題となる。乾季が来て道路を整備し、支障が最小限になるのもつかの間、一端雨季に入 るや道路はクルマではなく雨水の通路と化す。次の乾季の当初、ものすごい凸凹道が出現する。 昔、1950年代の初め日本でも「田舎のバスは 、おんぼろ 車 。凸凹 道 を ガタゴト走る 」と 歌った。しかし雨季、乾季の周期がある分、現在のインドの窮状はより深刻だ。電力事情の問題もある。 1日何回か必ず停電する。超高級と冠がつくホテルやレストランももちろん例外ではない。ただし、こ うしたところには必ず自家発電設備が用意されている。24時間稼動する工場ももちろん自前のDynamo をもち、停電にそなえる。ビジネスにとってはコストアップ要因となるのはいうまでもない。

もう1つの労働組合の“重さ”。例えば、これまで名だたる日本の企業がインドに進出しては失敗 する、という事例はたくさんあった。日本企業と限らず、“勝ち組”になるか“負け組み”になるか の分かれ目は、労働組合にどう対応するのかという一点にあると聞いた。1990年代初めまでの社会 主義的政策がいまもよく効いている。労働者を解雇する場合には州政府の許可を必要とする。日本 の現状とは違って、簡単には“首にできない”。半年(6ヶ月)勤務すると自動的に正規雇用となる という前提もある。このあたりがビジネス側にとって“深刻な頸木(くびき)”となっている。ある 日本企業のゼネラルマネージャーが「終身雇用体制が最も安定的な経営に結びつくのはわかっている のだが、毎年賃金が上がるし、組合対策も考えなければならないので、できるだけ臨時社員の割合 を多くしている」とポロッと言っていたのが耳に残る。“毎年賃金が上がる”と客観的な言い方を しているのは、毎年5月頃に各州政府が企業の定期昇給とは別に賃金を上げるガイドラインを示すこ とに起因している。ビジネスの展開が、いいかえれば利潤追求の試みが、実は労働者の“主体的”意思と(州) 政府が発動するコントロールによって左右される仕組みが実にわかりやすい形で存在しているのである。企業 と労働者と公権力の3つの主体が社会を構築する、そのありようを具体的に教えてくれる。

本日、まもなく自民党の新総裁が決まる。一昨日、帰国後みたNews23(TBS)に3人の候補者が出ていた。 安倍が、抜本的?教育改革を念頭に「グローバリゼーション進展の下、日本もこの動きについていくには グローバルに通用する優秀な人材を育成する必要がある。いまの平等主義的教育ではたちうちできない」 というような趣旨の発言をしていた。これは見逃せないように思う。問題は「グローバリゼーション」を大前 提にして社会を構築するのは果たして自明な選択なのか、ということがあるからだ。

インドにて―その52006年09月12日 10:33

昨日はまずタタモーターズを訪れた。インド国内のクルマメーカーとしては最大。いわゆるタタ財閥系の核となっている企業。インドクルマ市場のシェアのトップは日本のスズキ。全体の47%強を占める。断トツ。少し前までは50%を軽く超えていた。追う日本メーカーの1つがもちろんトヨタ。しかし現在のシェアはわずか5%前後。8日にバンガロールのトヨタを訪れたがスズキ追撃に関しては結構“石橋を叩いている”という印象だった。

とまれタタモーターズ。部品を含めて内製化率が99%?という。工場敷地が広大すぎてとても日本メーカーの工場のように歩いてまわることはできない。というわけでオープンカー仕立ての7人乗りのカートが用意されていた。日本で言えば軽自動車(1000cc以下)のクルマが圧倒的で、次いでいわゆるリッターカー。トヨタなどの名だたるメーカーが入れずに来た背景でもある。路上にはクルマがあふれているが、 なかでもいわばイエローキャブ(バイクタクシー)が蝟集しているのがインドの“足事情”を示している。簡単に言えば昔日本で走っていたミゼットがタクシーになっているというイメージ。ともあれ、なぜ小型車か、といえば価格の問題に還元される。と、すれば、経済の発展が、所得水準を引き上げることになればインドのクルマ市場も大きく変わるということを示唆する。トヨタが慎重な態度を示しているのは、勝機を見出しつつもロングランを覚悟したからかもしれない。

もちろん、ここに大きな問題が横たわる。産業構造の問題だ。インドは他の工業国の発展とは違って第1次産業の比率が高いまま(現状でも6割)、基本的には第2次産業の発展がない形でIT産業(第3次産業のそれ)へとなだれこもうとしている。ITはもちろん雇用吸収力のダイナミズムとは無縁だ。このあたりこにクルマ市場の“これから”をうらなうカギがあるのかもしれない。

インドにて―その42006年09月11日 10:49

やはり牛が特別な存在。犬も多い。


昨日無事プネに到着。出発がまたまた大幅Delayだったためホテルに入ったのは夕方になった。チェックインののち、直ぐに町に出た。きょう(11日)は、スケジュールがびっしりと詰まっていて、明日(12日)も朝からY企業を訪れ、そのまま陸路ムンバイに向かう予定なので、プネの町を見るとすれば昨日の夕方しかなかったからだ。

と、いっても訪れたのは宮殿跡とその近傍のバザールの2箇所。まったく雰囲気は異なるが、日本で言えば、城址と城下町の商店街といったところ。宮殿跡の公園ではよく手入れがされた芝生で子どもたちが活発に走りまわっていた。とにかく子どもが多い。よくめだつ。若者も溢れている。しかもそれぞれいい雰囲気をもっているように感じる。いわゆるワルと思われる若者も健全なワル、すれていないワル、まっとうなワルといった印象だ。日本では中高年の男性を対象にちょいワル、という言葉が流行っているが、いずれインドでは そのような成熟社会の屈折した表現とはまだ無縁のようだ。

バザールでは、しかしながら、宮殿跡ののんびりした雰囲気、宮殿跡の高台から眺めた様相とは一変して激しい喧騒、清潔の概念がまだ目を覚まさない空間に圧倒される。人が次々といろいろな路地から溢れてくる。“後進”であることをむしろ種々さまざまなエネルギー源へと転じていく躍動。牛とYellow Cabとスズキのクルマ、が路上に同居する不思議な空間でもある。

テレビでは朝から9.11特集を映し出している。