インドにて―その22006年09月09日 13:26

5日の夜、デリーに到着したのだが、当地の現実を見ると、いろいろ考えさせられることが続く。結論を言えば、例えば「グローバリゼーション」のこと。この、いまでは至極凡庸な用語が、現実をつかむとすればこんなことかと思わせられたことがあった。

まずガンジー空港(デリー)に着いたら、迎えのクルマが来ていたものの、普通乗用車だった。われわれ一行はその時は6人。当然定員を超える。シンガポール経由でわれわれより遅れて到着する2人にもクルマの手配を頼んでいたのだが、この先と後の到着人数についての情報の整理ができていなかったらしい。結局散々待たされて、ホテルに到着した。この件が1つ。それとデリーからバンガロールに移動した際も、出発便が大幅に遅れた。これはよくあることでやむをえなかったのだが、ようやく深夜1時にホテルに到着した際に、Double Bookingのあることが判明したということがあった。一行のなかの2人の泊まる部屋がない、という事態に直面した。日本のであれ、インドのであれ旅行代理店を通さずにインターネットで直接予約し、クレジットでdepositをいれ、こうした手続きをすべて確認した上で到着したのに、そうしたことが生じた。結果、一晩だけスイートルーム2部屋にそれぞれ2人ずつ割り当てられることになった(私もその一人)。料金は各部屋1人分ということで折り合った。結局、こうしたことはいわゆるヒューマンエラーに属したトラブルだと考えられる。と、すれば、このブログにも何回かエントリーしたように、近時日本でも多発している様々なミスや凡エラーとも奇妙に対応すると見られる。依頼したことが(より厳密にいえば支払に関しても事実上決済が済んだ物品やサービスが)、その対価たるべき当然の内実をもたない現実と符号する、ということだ。例えば、今回成田空港まで、トランクを宅配便で送ったのだが、通常の宅配便の時とはちがって、特別な受取証書が依頼時に発行されるシステムとなっている。これを渡してくれず(当方もうっかりしていたという問題ももちろんある)、あぶなく面倒なことになるところだった。発送日のうちに連絡があり、受け取りに行って事なきを得た(本来は宅配便業者が直に持参すべきところだが、そのように頼んだとすれば無事届けてくれるか不明、というすでにいまのビジネスに対しては信頼感が欠如している現実があるのがもう1つの問題)。

とまれ、“先進国”日本では、かつてのようなビジネスに対する信頼感が薄れてきたとすれば、そのような事態は“これから”のインドのビジネス上の不備、欠陥とちょうど照応するということになる。つまり、”グローバリゼーション”が含意しているコアの1つに平準化というのがあるとすれば、こんな形で現象しているのではといえそうなのである。

インドにて―その12006年09月08日 13:15

Wipro E-City
インドに来て3日目。ようやくネットが自由になる。

いま何故「インド」に人々の視線が集まるのか。第1の印象は15,6年前に初めて中国を訪れた時のそれとほぼ似ている。日本になぞらえれば19世紀後半から現在(21世紀)までのすべてが、現在に凝縮されている、という感じといえばいいか。ただし、インドの場合は様々な格差がいたるところにあり、それらの因って来るプロセスを想像すると気が遠くなるような世界に吸い込まれる感覚を覚える。インドも90年代初頭まで社会主義型政策を基本としていたが中国政府の統合力がいかに強力なものであったかが想像される。

格差のなかでもっとも分かりやすいのがもちろん経済格差。日本で言えば明治期の貧民と21世紀の金融長者とが同居しているイメージになる。しかもインドの場合21世紀の長者は、日本ではまだ存在していないタイプのそれという趣をもつ。それだけ新しい。いいかえればこれが“IT大国”と注目されるCutting Edgeということになる。昨日インドのシリコンバレーと注目されるバンガロールに本社をおくWiproを訪ねた。ソフトウェアを生み出すことに関しておそらく世界のどの企業もまだ取り入れていないやり方を大々的に現実のものにしている21世紀型企業がそこにあった。しかももちろんWiproだけではなく、インドソフトウェア企業最大手Infosysやタタ財閥の流れを汲む企業も同じようなやり方を導入しているらしい。効果のほどをめぐって激しい競争が展開されはじめている。その21世紀型の「やり方」というのは、端的に言えば、人の能力に依存するソフトウェア開発力を、きわめて高度な技術者を知的・専門的に徹底的に鍛えて育成するなかで実現しつつ、開発に関するKnow-howそのものは企業の資産として保存し、しかも絶えずそれらを更新する体制の構築ということになる。要は、優れた社員が仮に他の企業に移るとか独立して起業して抜けたとしても、まったく問題のない体制ということだ。いわば独立起業した社員の開発力は瞬時に陳腐化される、という構図といえばいいか。なかなかに面白い。

インドへ2006年09月05日 06:59

本日から18日までインドにでかける。初めてのインド。デリー、バンガロール、ムンバイ、プネに展開する日本企業へのヒアリング。およびIT大国として注目されているインドのソフトウェア企業についてその実態を知る、というのが今回の目的。ネット環境が問題なければ、このブログも随時更新するつもりだが、果たして・・。A型肝炎と破傷風の予防接種を受けたが(8月4日と3週間後の25日の2回)、毎年インドに行っている知人によればあまり意味はなさそう。知人いわく「意味はない。なぜならVaccinationsを受けて渡印した人でも罹る人を何人も見たし、1回もうけたことのない自分が何か不都合感じたこともなければ、何かに罹患したということもないから」。ともあれ「中国の次」と喋喋されているインドの現実について過不足なく知ることが目標。

ローカルな、きわめてローカルな「東京五輪」2006年08月31日 22:43

十年後(2016年)の夏季五輪の国内候補都市に「東京」が決まった。日本で開催するのであればアジアに開かれた都市、福岡の方が説得力に富むし、位置づけも容易にできたように思う。東京は石原慎太郎が前面にでた分、アジアに対して開かれたというイメージはうすれた。

もちろん、五輪という非日常の祝祭空間がいまでは金の力に左右される祭典となっているのをもってもはや評価に値するものではなくなったとの見方もあり得る。これからはじまる国際招致レースも熾烈をきわめるだろうと推測されている。1984年のロサンゼルス大会で「商業化した五輪のビジネスモデルをつくった」のがアメリカの現オリンピック委員会会長(今朝の日経 14版 3ページ 総合)。アメリカは、シカゴ、サンフランシスコ、ロスアンゼルスの3都市を推す。IOCの最上位スポンサーとなってきたのがアメリカの大企業。日本のマスコミを完璧に牛耳っている大資本といってもいい。こうした状況を知ってか知らずか、さしたる“売り”もなくなぜ東京は名乗りを上げたのか。これは大いなる謎というべきだろう。

42年前の東京五輪。あの時は、国民あげての一大イベントという趣があった。今回はどうか。きわめてローカルな反応にとどまっていると見るのが正解だ。日経朝刊の37ページ。「東京・首都圏経済」には「都心歓迎、多摩は不満」とある。要するに、「都心中心の『コンパクト五輪』を批判する声」が、東京のなかからも噴出している現実を伝えている。ローカルな、きわめてローカルな五輪指向の試みというべきゆえんの一つ。