ジャンク(不良債権)にはジャンク(ガラクタ)を2008年09月30日 19:51

アメリカ議会下院が,7,000億ドルの「緊急経済安定化法案(金融安定化法案)」を否決した。それを受けてアメリカの株価が大暴落し(777ドル=スリーセブン,の下げ,というウソのようなおまけ付き),日本でも,アジアでも,そしてヨーロッパでも軒並み全面安となっている。法案は修正の上,再度提出される。

注目されるのは,否決を生み出した構造である。ハイリスク・ハイリターンを承知しつつ,一瞬のオペレーションで莫大な金融収益を獲得することを至上としてきた金融業者が,破綻に瀕したとしても,それは市場原理=競争原理を考えればよくある結果であり,その“危機”はあくまでも彼ら自らの責任において解決すべきである。公的資金によって救済するのは,筋違い以外の何ものでもない。これが,いわゆる典型的な市場原理主義に立つ法案否定の立場である。

これに対して,金融の限りない膨張を伴うグローバル資本主義においては,一部の金融長者を除けば,その恩恵を受けるものなどどこにもいない。圧倒的多数は,福祉切捨て,格差と貧困の状況におかれているのであり,救済すべき対象というのなら,こうした人々をおいて他にいるだろうか。これが,市場原理を相対化した視点に立つ法案否定の立場である。この立場から,危機的な金融情勢をパロディ化しつつ,大衆的行動を呼びかけ,瞬く間に注目を集めたのが ウォール街近くの公園にジャンクを持ち寄る大デモンストレーションである。ジャンク(不良債権)に大金を出すというのなら,いくらでもジャンク(ごみ・くず・ガラクタ)を持ち込もうぜの盛り上がりであった。つまり,法案否決の動きは,まったく違った少なくとも2つの方向からやってきたのである。

政府機関による監視とか救済企業の経営者に対する法的責任追求といった項目を目玉としつつ,おそらく法案は修正され,通過されることになるだろう。が,限りなく実体経済から遠ざかりつつ膨張する金融経済。ここまで驕り高ぶった「博打うち」を鎮める手だては,資本主義というシステムの枠内で一体あるのだろうかというのが根本の問題なのではあるまいか。

金融危機,学生の反応は?2008年09月22日 21:47

かつては,皮肉が通用していた。授業の際に意識して話したことが,つまり挑発が,幾人かの学生の反撥を呼び,結果,むしろ学生の〈知の欲求〉を引き出すことに成功するということがあった。ここ1週間のことで言えば,リーマン・ブラザーズの破綻とかFRBがAIG救済のために巨額の融資をしたといったことについての,次のような言い方がそうである。「リーマンの破綻は,世界の金融の世界で,いったい何が生じているの?世界経済はどうなるの?わたしたちの生活にはどんな関係があるの?」と「大学の経済学部学生であれば周りの人に尋ねられるんじゃない?」その時,「それはこういうことだと思う,となにげに話せればカッコいいよね?」と。これが結構なるほどというレポートに結びついたりしていた。

時期的には,ブラックマンデー(1987年),日本のバブル経済(1986年~91年),アジア通貨危機(1997年),山一證券の破綻(1997年)あたりまでは通用していたのである。意地悪い言い方が,反撥されてプラスに向かう・・。これが1998年のLTCMの破綻あたりから空気が変わった。わずか1年の違いだが,世紀交替,ミレニアムなどが話題になった頃からそうではなくなったのである。そして21世紀に入るや,その傾向が強まった。ということで今回である。まったくのすれ違い。反応ナシ。

いや,正確に言えば反応はあった。予定の話に入る前に,リーマン・ブラザーズの件を20分ほど話をしたところ,講義が終わるや男子学生が質問にきたからである。いわく。「冒頭に話された金融恐慌の話は,Webのどこに書いてあるのですか?」。己に似せて人を語る,と言う。今どきの学生はネットからコピーし,それをペーストすることで課題を果たす。教師もまた同じだと思っているらしい。

Japan dot-com star jailed for fraud2007年03月16日 21:13

「インターネット企業の元CEO、金融スキャンダルで有罪判決」。 海外メディアも至急電で報じた。イメージとしては"Japanese version of Enron"。2年6ヶ月の実刑判決だった。 Japan dot-com star jailed for fraudはアルジャジーラの見出し。 「国策捜査(?)」とも言われたこの「事件」。執行猶予なしという点に、検察の意を酌んだ裁判官の意思 を嗅ぎ取るべきなのか。 カジノ資本主義ともいわれる現代資本主義。資本主義はもともとなんでもありの仕組みである。金融の ウェイトが飛躍的に大きくなってそれがより一層すごさを増した。だからコンプライアンスだとか企業 倫理だとかをことさらに強調する必要も出てきたのである。インターネット企業の元CEOは、この 「なんでもあり」を身をもって実践した。ただそれだけのことだといえばNihilismの謗りを免れないのだろうか。

判決理由の軸が「株主価値の重視」に背反しているというのは、裁判官もまた現代資本主義という病 にとらわれていることを如実に示す。

元長者番付1位のサラリーマン氏・・2006年12月25日 22:37

今年からいわゆる長者番付が公表されなくなった。個人情報保護の一環だという。要するに種々の セールス攻勢がすさまじく、それを防ぐというのが最大の眼目らしい。それはともかく、昨年5月、 最後の番付が公になったのを見て誰もが驚いた。番付の1位が、会社社長でもなければ、土地長者 でもなく、一介のサラリーマンだったからだ。納税額は37億円弱。所得税の最高税率が37%だから、 この納税額から逆算すると収入(年収)はなんと約100億円。かのサラリーマンの宮仕え先は「投資 顧問業」。いまや自己増殖する価値の運動体としての「資本」が「資本」として存立するのは専ら 金融の領域においてであることを象徴する現象であった。モノの製造、モノの販売ではなく、あるい はサービスのそれでもなく、架空資本の運動を通して価値の増殖がはかられるという超現実。実物資本の「健全性」 とは無縁な、派手、華やかさをまといつつ、底知れぬ虚しさ、妖しさをあわせもつ価値の運動体。

本日発売の『週刊・現代』(1月6日・13日合併号)。かのサラリーマン氏のその後が紹介され ている。見出しは「・・投資失敗で『5億円部長』に」。要するに直近の実績は2年前の20分の1に落ち 込んだことをシニカルに指摘している。まさにスーザン・ストレンジが喝破した「カジノ資本主義」そのもの。相場は 激しく乱高下し、損得はあざなえる縄の如し、というよりジェットコースターの浮沈並というわけだ。

記事は「『年収20分の1』といっても5億円。特に同情する必要もないか」と結ぶ。が、甘い!抉(えぐ)ってないね。これじゃ、どうみても『週刊誌』の結びというほかない・・ (>_<)。