聞く耳をもたない・・2010年06月08日 16:10

「あっ!あれだったか?」
数日前に各紙に載った「東大の研究グループ」による調査結果
「授業出ても携帯・私語」とか「自宅で勉強せず」といった見出し
が出ていた小さな囲み記事。当たり前のことじゃん!と飛ばし読み
した。が、突然、待てよ、と思いなおしたのである。珍しく自分も
アンケートに回答したことに思い至った。
と、いうわけで、冒頭に結びつく次第。
要するに、1月下旬にまわってきた「大学の授業状況について」
のアンケート。

学生の「就活」や「バイト」が授業・ゼミに支障となっているか、
とか、出席率はどうかとかに回答した。
「専門分野の基礎的理解」や「国語の読み書き」
といったいまさらこんな事を訊いてどーするというのも含まれていた。
想像を絶する状態は前世紀から続いている!
各紙の記事では、
中教審の指導が貫徹して、各大学とも出席管理を厳しくするよ
うになったから、学生の出席率はよくなっているが、
ただ教室に来るだけで、
学習意欲は一向に高まっていないことに注目している。
教室には来るが、講義はそっちのけで
「携帯や私語」にいそしむ現実を取り上げている。
いまどきの学生は、教員の講義に対する「聞く耳をもたない」という
わけである。鳩山旧首相であれば、大学生も、国民の一人だから「聞く
耳をもたない」のはやむをえないというだろう・・。

話は変わるが、鳩山旧首相が、辞任の会見で、
「国民が徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった」
と発言したのが、どうも解せない。
鳩山旧首相は、いわば「何々でよろしかったでしょうか?」とか
「よろこんで」とか「なになにさせていただく」
といった慇懃無礼な言葉使いの世界にいる人である。
それが、なぜこの時だけ
「わたしのいい分を徐々に聞いていただけなくなってしまいました」
というような言いまわしをせず、直截な表現になったのか。
何か、本当に言いたいこと、「携帯や私語」をせずに「この本音を聴け」
ということがあったのではないか。
読売新聞のサイトによると、こんな風な流れなのである
「国民が徐々に徐々に聞く耳を持たなくなってきてしまった。
そのことは残念でなりませんし、まさにそれは私の不徳の致す
ところと、そのように思っている。その原因、二つだけ申し上
げる。やはりその一つは、普天間の問題・・もう一つは政治と
カネの問題・・」。
何を「聞く耳をもて」と言いたかったのか?
謎?実は・・


「時代を思ふ」けふこのころ2010年05月22日 21:25

先日,NHKのラジオのニュースで,
「なかいまこと」沖縄県知事と言っていた。
おもわず「えぇー」とさけびそうになった。
すぐ訂正されたが,
それにしても,と時代を思った。
でも知事のファーストネームが弘多であり,
それが「ひろかず」と知っている人は存外
少ないのでは,と思ったら,
少々複雑な気がしてきた。

新入生も入学して2ケ月弱。
今週は新聞記事を読んでもらった。
「オピニオン・リーダー」というタームが出てきた。
どういう意味かと尋ねる学生がいた。
説明を与えた上で,
例えばどんな人を思い浮かべるかと訊いた。
そうしたら間髪いれずに「M・・もんた!」
という学生がいた。
おもわず「ぎゃぁー」と
仰け反りそうになった。
でも,
彼はTBSのNEWS23のキャスター候補として話題に
なったのを思いだした。
あらためて時代を思ったことだった。


ここまで書く?2010年05月15日 16:26

「お殿様のおなりぃ!」
「へぇへぇ~」状態といえばよいのか。
はたまた「この紋所が目に入らぬか!?」
状態といった方がよいのか。

異常事態発生なのである。
何かといえば,新司法試験。
勤務先のキャンパスがその実施会場となった。
そこでこんな「おふれ」が至るところに張られた。
ここまで書くか?
ここまで書く必要があるのだろうか。
話をするな!靴音を立てるな!
聞くところによれば,普段授業をしている教室が
会場として召し上げられ,
代わりにあてがわれた教室は受講生を収容するほど
のキャパがなく,
だったら「休講!!」とした教員がいたそうな。
これは大正解というほかない。
それほどの異常,違和感。
こんな張り紙「四方に敷けん」と心得よ。
明日まで続く・・。


大晦日―地方紙の魅力など2009年12月31日 18:33

「青森駅は雪の中」
一昨日ささやかな祝い事があり,
青森に行った。
帰りの「青森駅は雪の中」のおまけつき。

旅や旅行で他所に行った時,
可能な限り,地元紙を買う。
青森には『東奥日報』がある。
きのうの朝刊トップは,
「脱路上生活 念願のアパート入居」
長い路上生活ののち,
渋谷での雑誌売りが,
なんとか生計への展望をもたらし,
念願のアパート入居がかなった
という,八戸出身の元ホームレスの話である。
地方紙ならではの味わいがある。
地域に焦点を絞る,その編集のスタンスに
非常に好感が持てる。

そして,興味をそそられた記事がもう1つ。
フリーペーパーからいまの時代を覗く
という企画である。
無料で配布されるフリーペーパー。
この「敷居が高くない雑誌に」
載った「硬質な文章」の話である。
硬質な文章の書き手として
登場するのは藤原新也。
フリーペーパーでも,
文章を十分に味わう読み手が
出現しているのが現代なのだと説く。
読み手が真剣になるのであれば
当然書き手もそれを意識して文を書く。
藤原の場合,
「書き手と読み手の関係を完全にフラット」化するのが
読まれる文章を綴るコツなのだ,とある。

生活日常における人間関係のフラット化が,
いろいろな形をとりつつ,
進行していると感じられるようになってから,
結構時間が過ぎた。
「タメ口」などというのが,
話題になったのはその1つの表れであった。
それが,雑誌の文章をめぐる,
書き手と読み手の間にも浸透している
というから面白い。
しかも,フリーペーパーの動きに,
それが明白というのだから・・。

「フラット化」なる現象。
現代を読み解くキーワードとして
様々な視点から考えてみたい。

今年もあと5時間半ほど。
どうぞ佳いお年を!!