「巨人」としての「船場吉兆」か,「船場吉兆」としての「巨人」か2008年05月15日 16:05

新聞各紙の「おくやみ」欄に,湯木昭二朗の名が載っている。とりたてて解説めいた記事はない。ひっそりと,という形容がちょうどあてはまる感じである。紹介も,「吉兆」創業者湯木貞一の長女の配偶者であり,東京吉兆の元社長を務めた程度にとどまる。生前,「船場吉兆」の一連の不祥事についてはいかなる所懐をおもちだったのか。

きょうは木曜日。日経朝刊に豊田泰光がコラムを担当する日である。「大阪の料亭が焼き魚や刺し身のツマの食べ残しを盛り直して,別のお客に出していたという。」冒頭このように書いて,そのあとプロ野球の話を書く。「・・別のお客に出していたという。ふと頭に浮かんだのは巨人の野球」とつなぐのであるが,豊田の話が面白いのはこういうサプライズにある。

「船場吉兆」の不祥事と読売巨人に共通性を発見するのである。巨人は「よその球団が味を試した外国人やFA選手を取っては盛り直し,フィールドに出している」というわけである。船場吉兆の“ささやき女将”にいわせれば,自分のところのケースは客が「味を試した」ものではない,何を勘違いしている (~_~メ) ・・ブツブツとなるのであろうが,この際,誤差範囲と考えたい。要は,素材が旬に発揮する至高の力にまったく無頓着でいられるその無神経が問題なのだからである。儲け=勝ち,に行って全てを失う,という構図は凡庸そのものなのだが・・。

「石炭、再び」という劇的場景2008年04月20日 23:34

昨日の『朝日』夕刊のトップ記事に吸い込まれた。見出しは「国内炭 掘り出し物」。要は、国内産の石炭にもう一度出番がまわってきたという話である。“吸い込まれた”というのは、この記事に非常に視覚的な印象を受けたからである。長く、深く沈んでいたものが、しかも再び浮上することなど露ともおもわなかったものが、光りを浴びながらいささか恥らいつつ目の前に現れたような感じを受けたからである。昔、鈴木清順が撮った『東京流れ者』の、息絶えたかのように横たわる子犬が突然むっくりと起き上がるあの冒頭シーンを髣髴させたといえば良いか。ともあれ、このドラマティックな“映像”を演出するのが「市場経済」という装置であることも、奇妙でシュールな感覚を呼び起こすことにつながっている。

原油高騰がなせるわざなのである。数日前には、なんと1バーレルが115ドルにまで達した。それで「北海道で細々と掘っていた石炭が割安になり」、俄然見直しの機運が高まったというわけである。国内で現役炭鉱がまだ8箇所もあったというのにも驚かされた。燃料炭というよりも「発電やセメント、鉄の生産に欠かせない」からというのがその背景にあるようだが、暴走する市場経済の陰で、人知れず黙々と役割を果たし続けるものの存在にまさにガツンとやられた一瞬だった。”吸い込まれ”しかるのちの”一撃”。衝撃はけっこう小さくはない。

「文士の商法」の顛末2008年03月07日 12:33

「武士の商法」ならぬ「文士の商法」の破綻ということなのであろう。いわゆる「石原銀行」,正式には新銀行東京の「融資焦げ付き」が86億円であることが明らかになった。実際にはこの何倍もということなのだろう・・。ともあれ,石原慎太郎のアイデア(選挙公約)により,東京都が1千億円を出資して鳴り物入りでスタートした新銀行が青息吐息状態となっている。経営難に対処するために400億円の追加出資案が都議会に提出されているのは周知の通り。

この事態をどう読めばいいのか。2003年の都知事選に際し,石原は,貸し渋り,貸し剥しの横行する当時の金融情勢を見て,文士として閃いたアイデアを公約として掲げた。つまり,資金繰りに苦しむ中小企業に対して,無担保無保証融資をキャッチコピーとするニュー(?)タイプの銀行を設けた。ところが,「審査の甘さから不良債権が膨らみ,08年3月期決算は累積赤字が約1千億円に達する見込み」(朝日新聞・朝刊・本日13版トップ)となった。アイデアは悪くなかった。というよりも,中小企業の窮状を目の当たりすれば,シロウトなら誰でも考えそうなことを具体化したに過ぎない(実行力があっただけ,さすがか?)。

問題は,新保守主義的ないしナショナリスト的な考えをもつ石原が,市場原理主義にきわめてフレンドリーなスタンスを見せていたにも関わらず,新自由主義を甘く見たという点にある。つまり,市場原理を至上とする考えに実は疎かったということである。それは,新銀行東京の債権には,優良な債権がマレであるという点に如実に現れている。従来の銀行が融資の対象と見なさない企業(中小企業)は,新銀行に頼らざるを得ない。この単純な事実の意味するところにまで想像力が及ばなかった。つまり,新銀行東京から融資を受ける=従来の銀行のビジネス対象外,という関係に対するイマジネーションである。新銀行の融資先=従来の銀行が相手にしない企業=取引先の離反=経営破綻=新銀行における不良債権累積,という図式こそ市場原理貫徹の具体例にほかならないからである。文士の商法たる所以だ。Ach!