オリックス、10分千円の散髪店を買収2006年08月01日 23:35

日経の朝刊1面の囲み記事。オリックスがQBハウスの買収に乗り出すとある。(Webではこちら)。恥ずかしながら、QBハウスが、10分1000円の散髪を全国展開するヘアカット専門店というのは初めて知った。ホームページには、シャンプーやブロー、シェービング等、客が自分で出来ることは省略し、客が自分で出来ない“カット”だけに特化したサービスを提供する、とある。要するに理容業における価格破壊の仕掛け人といったところだ。高級路線を追求する理髪店がある一方で、ムダを徹底排除し、ヘアだけでなくサービスのカットもコンセプトの1つとする床屋というわけだ。いかにもいまの“ご時勢”を象徴するような話。

今回オリックスは、MBO(Management Buy-Out)の手法も使うとのこと。QBハウスの経営陣にも5%程度の出資をもとめ、企業価値の上昇をはかって数年後の株式公開をめざすというのがネライとか。おそらく理容設備はオリックスの業務の柱であるリースで調達ということなのだろう。

わたくし的にいえば、利用していた理容店が最近遠くに移転してしまった。都心の過当競争に耐えられなくなったからのようだ。で、どうしたか。競争の激しい折、新たに探す理髪店だって永続する保証はない。と、いうことで、ひとまずマツキヨに行ってヘアカッターを調達してきた。ヘアカットそのものを自分でやってみた。5分もかからない。とくに問題もなさそう。つまり、散髪にまつわる作業はすべてセルフで可能ということだ。10年ほど前は美容院でカットしてもらっていたのが遠い記憶となった。

オリックスの目のつけどころは果たして・・。

インドIT企業訪問2006年08月03日 23:24

来月、インドに行く予定がある。インド企業およびインドに進出している日本企業、政府(中央政府・地方政府)などにヒアリングするためだ。これまでは毎年夏に中国に行ってきたが今年はインドにウィングをのばした。

今日はその前提作業として、インドのソフトウェア産業では上位3位に入るWiproの日本のオフィスを訪ねた。横浜ランドマークタワービル9F。応対してくれたのはWiproジャパンの社長。インタビューは2時間を超えた。同社はソフトウェア・サービス分野のオールラウンドプレイヤー。カスタム・ソリューションの開発、ITコンサルティング、ネットワーク・インフラ管理、アプリケーション開発・メンテなどを引き受けている。組込製品開発はとくに力を入れている分野だ。ケイタイやデジカメをわれわれが簡単に使いこなせるのは、動作用のソフトが組み込まれているからだが、こうしたソフトの開発を請け負っている。まさに現在の高度な工業製品の使用価値を実現するためのソフトウェア・サービスを提供している企業ということになる。製造業立国日本を支えるキー・インダストリーの鍵をインド企業が握る構図が浮かび上がってくる。Wiproでは、毎年1000人の応募者中わずかに採用が7人という“超狭き門”を潜り抜けた人材が働くという。話はつきない。

きょう特に印象に残った話。ゼロを発見したインド人、ITに強いインド人というのが話題になるが、ソフトウェアとは何?ということも目からウロコ風にストンとわかる話でもある。「アメリカとドイツと中国とインドのそれぞれの少年がソフトウェアを作った。結果、アメリカの少年のソフトは動かなかった。ドイツの少年のはいかにも律儀な動き方をした。中国の少年の作品は結構凝った作りと思わせるものだったがそれだけだった。そして・・。インドの少年のソフトはもっとも完璧で最もすぐれものだった。が、なぜそうなのかは誰にもわからなかった」

8月6日、仙台では「七夕」だが・・2006年08月06日 23:51

きょうは8月6日。広島が被爆して61年。平和記念公園で開催された「原爆 死没者慰霊式並びに平和祈念式」の様子をテレビが映し出した。いつもの ように。セレモニー然とした風景。さだまさしが20年にわたり「この日」を選んで続けてきた、出身地長崎での「平和祈念コンサート」を今回でやめた。さらに継続することは30年をめざすことになるが、そこまで「何事もない状況」で続ける自信を得られなかったという。

昼のテレビニュースでは、「広島」のあと、レバノンの事態を報じていた。海外でいう"Middle East Crisis" 。イスラエルがまるで自ら進んで「孤立の道」に驀進しているかにみえる現状。もちろんアメリカの、とりわけチェイニー副大統領によるこのイスラエルの常軌を逸した路線に対する支持はあるとみられる。が、イスラエルのヒズボラ壊滅作戦は、結局のところレバノンを、シリアを、イランを、完璧に現実の敵にまわしたかに見える。イラクも泥沼。「大戦」の二文字が現実味を帯び始めたのか・・。

田中康夫が“見限られた”2006年08月07日 22:33

長野県知事選。“ヤッシー”が負けた。長野県民は田中康夫を見限った。自民、公明そして連合長野が推した村井仁が当選した。何がそうさせたのか?

かつて、 石原慎太郎は、青島幸男が東京都知事選に立候補した際に、「青島は物書きだから何かクリエイティブなことをするだろう。面白いじゃないか」というような発言をしていたのを思い出す。青島は、しかしながら、結局はいわば官主導型の都政に堕し、なんらクリエイティブな果実をもたらすことなく退いた。

田中康夫はどうだったか。信濃毎日新聞は「村井の勝利というよりは田中の敗北」と分析した。田中の目指した「脱官主導」「脱利益誘導」「脱公共事業」が、彼の特異な発想に基づいたトップダウンによって進められたことにすべては凝縮されるだろうと。要するに、県議会や市町村さらに県職員との対立が飽くことなく続いたことに県民が嫌気したとのだと。異見を唱えるものを斥ける「独裁者」になったとも強調する。と、いうことは青島とは対照的な位置にいたということだ。青島は、官主導に堕したがゆえに、その存在理由を喪失し、田中は、官に対して非妥協的であったがゆえに孤立し浮いて、その座を追われた。信州大の知人の何人かも最近はむしろ「反田中」になっていた。なかなかクリエイティブであることは難しい。

今回の結果からは、脱公共事業という「小さな政府志向」という点では小泉・竹中路線とも重なる経済思想が「No!」をつきつけられたことも注目されよう。