亥年は天変地異の年 ― 2007年01月17日 12:39
亥年は天変地異の年といわれる。関東大震災(1923年)がそうだったし、12年前の阪神大震災もそうだった。1995年の1月17日(火曜日)のことは良く覚えている。当時、週末(金曜日)仙台に戻り、週初め(火曜日)に上京する日常だったが、朝7時半仙台駅に向かうクルマのなかのラジオで知った。出かけるまでテレビをつけていたはずなのに、そこで報道されたという記憶はない・・。その夜、勤務先で定年を迎える方の送別会があり、その会場に向かう途中に買った夕刊で、この日の早朝神戸で何が起こったのかの詳細がわかった。見出し文字のサイズは最大。被災の様子を伝える写真と文字に釘付けになった。震えをおぼえた。送別の宴はもっぱら神戸の話しで終始した。
大地震といえば、個人的には1978年6月12日の「宮城県沖地震」。17時14分に発生したマグニチュード7.4(震度5)の大地震。幹線道路にある横断歩道を渡りきったところで遭遇した。最初の何秒かは何が起きたのかが分らなかった。「地震だ!」と気づいてガードレールにしがみついたことを覚えている。道路(地面)に立っていながらまるで小さなボートにのっているような奇妙な感じだった。恐怖というのとも違う日常にはない感覚を初めて体験した。その時に得た教訓。①大地震は、地震とわかる形では襲ってこない。いいかえれば「あっ、地震」とわかる時には基本的に身の危険はない(だろう)ということ。②いわゆるライフラインがストップした時に何が一番不自由かといえば「水」がなくなること。電気やガスや通信も困るが「水」の比ではない。
今朝NHKでは次の3つのことを強調していた。①建物の耐震強化をはかるべし。②ライフランを念頭に非常時への備えをはかるべし。③地域での助け合いの態勢を構築すべし(神戸では、家屋の倒壊や家具の転倒によって下敷きになった人の8割が地域の人に救助されたという。その数3万人以上)。地域コミュニティが大事だと・・。ともあれ巨大地震はいずれやってくる。
大地震といえば、個人的には1978年6月12日の「宮城県沖地震」。17時14分に発生したマグニチュード7.4(震度5)の大地震。幹線道路にある横断歩道を渡りきったところで遭遇した。最初の何秒かは何が起きたのかが分らなかった。「地震だ!」と気づいてガードレールにしがみついたことを覚えている。道路(地面)に立っていながらまるで小さなボートにのっているような奇妙な感じだった。恐怖というのとも違う日常にはない感覚を初めて体験した。その時に得た教訓。①大地震は、地震とわかる形では襲ってこない。いいかえれば「あっ、地震」とわかる時には基本的に身の危険はない(だろう)ということ。②いわゆるライフラインがストップした時に何が一番不自由かといえば「水」がなくなること。電気やガスや通信も困るが「水」の比ではない。
今朝NHKでは次の3つのことを強調していた。①建物の耐震強化をはかるべし。②ライフランを念頭に非常時への備えをはかるべし。③地域での助け合いの態勢を構築すべし(神戸では、家屋の倒壊や家具の転倒によって下敷きになった人の8割が地域の人に救助されたという。その数3万人以上)。地域コミュニティが大事だと・・。ともあれ巨大地震はいずれやってくる。
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