団塊世代の「落とし前」2008年04月03日 22:36

画像は1997年にトライアスロンに出た村上春樹
3月末日の河北新報に「村上春樹さん 縦横に語る」が載った。そのなかで,いささかの違和感を覚えながらも,結局その言い分を受け容れざるをえないと思われる一節があった。村上は「僕らの世代は大学時代に理想主義を掲げ,革命というものを信じていないのに革命闘争をやったような,ちょっと“いいとこ取り”したような面がある」と言い,しかも学生時代が終わると「今度は企業戦士となり,どんどん経済を発展させてバブルを作り,次にはそれがはじけてチャラにしてしまった。・・だから誰かが責任をとらなくてはいけないと思う」。「僕もその団塊世代の一員ですから,小説家として,その落とし前はつけなくてはいけないと思っている。」

革命を信じていないのに革命闘争をやってみた,という“いいとこ取り”をしたことについての落とし前。現在では,それがなぜ“いいとこ取り”になるのか直ぐに了解するものはさほど多くはあるまい。

ともあれ,あの時から40年弱。「改革」がキャッチーなタームとなり,夥しい人を惹きつけた総選挙があった(2005年9月)。確かに,ツケがまわったというべきであろう。

それからさらに2年半。潮目は変わってきたように思う。もちろん,たんに現状を変えればいいのではない。何の「改革」なのか。どこへ向かう「変革」なのか。そしてそのために必要な共通認識・共通理解とは何なのか。

村上は,自身の作品が,日本では他に例がないほど世界的に読まれ,世界的な読者を獲得している理由について訊かれ,次のように答えている。「物語は世界の共通言語ですよ。面白い話は誰でも読む。・・僕の文体は日本語性みたいなものに,あまり寄りかからない文体です。だから翻訳の過程で失われるものが,比較的少ない・・。」物語が世界共通言語だというのは「物語を書いていくことは,自分の魂の中に降りていく作業・・。そこは真っ暗な世界。生と死も不確かで混沌としている。言葉もなければ,善悪の基準もな」く,そこまで降り立てば,場の固有性を超えてどれもが「同じ世界」になるのではないか,と。わたしたちにとって真に合点がいくグローバリゼーション(もちろんあまり安易に使用したいとは思わないタームであるけれど)とは何かを示唆しているように思う。自分が現にある場をひたすら掘り下げたところにこそ見えてくる何か。かつてのちょっとした戯れ,“いいとこ取り”に“落とし前”をつけることは,かくして“読者としての吾れ”にとっても途方もない作業となる。

張りぼての象徴=大学の「単位」2008年04月10日 22:46

雨の中で8分咲き
みちのくにもサクラが咲いた。が,今日は雨。晴れた日は,桜の花弁はひらひらと舞い,雨の日には静かにたたずむ。だから雨の日は気持ちがやすらぐ,ような気がする。桜の季節には新入生がやってくる。新入生に「単位」の話をした。大学は単位制ということになっているからである。そこでいつものように,「形の上ではね」という前ふりをして,「こうなっている」ということを伝えた。どうなっているか,といえば,こうである。「単位数を定めるに当たっては、1単位の授業科目を45時間の学修を必要とする内容をもって構成することを標準とし、授業の方法に応じ、当該授業による教育効果、授業時間外に必要な学修等を考慮して、次の基準により単位数を計算するものとする。」そして細則として「 講義及び演習については、15時間から30時間までの範囲で大学が定める時間の授業をもって1単位とする。」と続く。これを一読して「あ,そうなの」とサクッと分かる方はどれほどおられるだろうか。

つまり,週1回で1年間続く,ごく標準的な講義の場合,年間の講義回数は最大30回である。1回の講義の時間は現在では90分がスタンダードだ。大学の授業時間はもともと120分が基本だったが,最初と最後の15分はそう硬いことはいわないという暗黙の了解,いわゆるakademisches Viertel=学の15分があったものの,現在はこの15分ずつ計30分が初めからディスカウントされている。昔はホント遊びがあった。優雅だった。それはともあれ90分を「2時間」と読ませる。だから,年間30回の講義は60時間ということになる。とはいえ,30時間で1単位という「単位のきまり」であれば,年間30回の講義はせいぜい2単位にしかならない勘定となる。ところが,これが通常は4単位として認められるのがフツウである。この一見,水増し,ないし偽装と思われるカラクリは,この計算では不足する60時間を学生が自習(予習+復習)することで充足するということにある。つまり年間30回の講義の場合,受講するたびに予習と復習に2時間ずつ充てなければならないということである。実に大変である。4単位の講義を4つ受講したなら,その日は家でか大学でかは知らないが,8時間「勉強」しなければならないのである。サークルに出て,バイトもやって,そのうえ自習に8時間!!タテマエの話はじつに疲れるのである。

『広告批評』休刊と本日の「CM天気図」2008年04月15日 21:32

雑誌『広告批評』(マドラ出版)が来年の4月,創刊30周年を迎える。が,その記念号をもって休刊すると発表した。長い間,定期購読してきた雑誌の1冊なので,いささかかの感慨を覚える。ただ,定期購読をしてきたとはいえ,必ずしもまじめな読者だったわけではなく,特にここ4,5年はほとんど積読状態にあり,せいぜい巻頭にある橋本治の時評に目を通す程度であった。でも廃品回収などに出そうと思ったことはないので,雑然とした研究室や自宅書庫を隈なく探せば過去20数年のバックナンバーがすべて揃うはずである。

1980年代の半ば前後,日本の企業が元気いっぱいで,とくに3S,すなわち西武,資生堂,サントリーの広告が人目を引いたことがあった。コピーライターなる職業がフツーの人に知られるようになった時期である。それまでは「コピーライター」とは,書き手の書きなぐった原稿を清書する人などとまことしやかな解釈が流れていた。ともかく80年代の中頃は,広告が「鑑賞に堪えうる作品」となったのではないか,といった,まさにポストモダンの思潮よろしく,あれこれ喋喋されたことは記憶に鮮明に残っている。

こうした状況のなか,「広告」を時代を映す鏡としてとらえ,クライアントの磁場から抜けた地点で論評の対象として自在にとりあげたのが『広告批評』であったと思う。「休刊」を決めた背景には,いまやWeb抜きに広告の存続はありえないとの認識がある。言い換えれば,マスメディアという旧メディアとの関わりで広告を問える時代ではなくなったということである。ネット広告は,バナー広告という,いまでは古典そのものとなった手法からリッチメディアを駆使するものを経て日々「進化」し続けている。『広告批評』としてはその役目を終えたというべきなのだろう。

天野祐吉。言わずと知れた『広告批評』の創始者であり,初代編集長である。彼が,毎週火曜日の朝日の朝刊に「CM天気図」を寄せている。本日の主題は「広告主の品位」。最近はやりの「品格」なるタームを使わなかった見識はさすがだが,筆鋒はかつてのそれではない,と感じたのは私だけだろうか?『広告批評』の休刊のせいなのか,はたまた「後期高齢者医療制度」なる悪い風にあたったせいなのであろうか。

「石炭、再び」という劇的場景2008年04月20日 23:34

昨日の『朝日』夕刊のトップ記事に吸い込まれた。見出しは「国内炭 掘り出し物」。要は、国内産の石炭にもう一度出番がまわってきたという話である。“吸い込まれた”というのは、この記事に非常に視覚的な印象を受けたからである。長く、深く沈んでいたものが、しかも再び浮上することなど露ともおもわなかったものが、光りを浴びながらいささか恥らいつつ目の前に現れたような感じを受けたからである。昔、鈴木清順が撮った『東京流れ者』の、息絶えたかのように横たわる子犬が突然むっくりと起き上がるあの冒頭シーンを髣髴させたといえば良いか。ともあれ、このドラマティックな“映像”を演出するのが「市場経済」という装置であることも、奇妙でシュールな感覚を呼び起こすことにつながっている。

原油高騰がなせるわざなのである。数日前には、なんと1バーレルが115ドルにまで達した。それで「北海道で細々と掘っていた石炭が割安になり」、俄然見直しの機運が高まったというわけである。国内で現役炭鉱がまだ8箇所もあったというのにも驚かされた。燃料炭というよりも「発電やセメント、鉄の生産に欠かせない」からというのがその背景にあるようだが、暴走する市場経済の陰で、人知れず黙々と役割を果たし続けるものの存在にまさにガツンとやられた一瞬だった。”吸い込まれ”しかるのちの”一撃”。衝撃はけっこう小さくはない。