「石炭、再び」という劇的場景 ― 2008年04月20日 23:34
昨日の『朝日』夕刊のトップ記事に吸い込まれた。見出しは「国内炭 掘り出し物」。要は、国内産の石炭にもう一度出番がまわってきたという話である。“吸い込まれた”というのは、この記事に非常に視覚的な印象を受けたからである。長く、深く沈んでいたものが、しかも再び浮上することなど露ともおもわなかったものが、光りを浴びながらいささか恥らいつつ目の前に現れたような感じを受けたからである。昔、鈴木清順が撮った『東京流れ者』の、息絶えたかのように横たわる子犬が突然むっくりと起き上がるあの冒頭シーンを髣髴させたといえば良いか。ともあれ、このドラマティックな“映像”を演出するのが「市場経済」という装置であることも、奇妙でシュールな感覚を呼び起こすことにつながっている。
原油高騰がなせるわざなのである。数日前には、なんと1バーレルが115ドルにまで達した。それで「北海道で細々と掘っていた石炭が割安になり」、俄然見直しの機運が高まったというわけである。国内で現役炭鉱がまだ8箇所もあったというのにも驚かされた。燃料炭というよりも「発電やセメント、鉄の生産に欠かせない」からというのがその背景にあるようだが、暴走する市場経済の陰で、人知れず黙々と役割を果たし続けるものの存在にまさにガツンとやられた一瞬だった。”吸い込まれ”しかるのちの”一撃”。衝撃はけっこう小さくはない。
原油高騰がなせるわざなのである。数日前には、なんと1バーレルが115ドルにまで達した。それで「北海道で細々と掘っていた石炭が割安になり」、俄然見直しの機運が高まったというわけである。国内で現役炭鉱がまだ8箇所もあったというのにも驚かされた。燃料炭というよりも「発電やセメント、鉄の生産に欠かせない」からというのがその背景にあるようだが、暴走する市場経済の陰で、人知れず黙々と役割を果たし続けるものの存在にまさにガツンとやられた一瞬だった。”吸い込まれ”しかるのちの”一撃”。衝撃はけっこう小さくはない。
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