「新聞離れ」の実態 ― 2010年08月09日 08:58
6日から連日、真夏の研究会が続いている。
仙台(作並)、東京(国分寺)
と来て昨日からは東京(八王子)。
一昨日宿泊したホテルでのことを記しておく。
エレベータの前に棚があり「朝日新聞」が置いてあった。
棚のラベルには「自由にお持ちください」の文字。
朝食時、これは有難い、と1部いただいた。
朝食が終わり、部屋に戻る頃にはだいぶ減っているだろうな
と推測した。
しかし、せいぜい30分ほどの食事時間のあとでは変化はなかった。
数時間後チェック・アウトの時間が来て、
エレベータでロビーに降りた。
ところが事情に変化は一切なかった。
仙台(作並)、東京(国分寺)
と来て昨日からは東京(八王子)。
一昨日宿泊したホテルでのことを記しておく。
エレベータの前に棚があり「朝日新聞」が置いてあった。
棚のラベルには「自由にお持ちください」の文字。
朝食時、これは有難い、と1部いただいた。
朝食が終わり、部屋に戻る頃にはだいぶ減っているだろうな
と推測した。
しかし、せいぜい30分ほどの食事時間のあとでは変化はなかった。
数時間後チェック・アウトの時間が来て、
エレベータでロビーに降りた。
ところが事情に変化は一切なかった。
「新聞の山、動かずであった」。
驚いた。
というか、ここまで「新聞離れが進んでいるのか」
と衝撃をうけた。
「新聞」は、無料でも手にするに値しない、
それが現実というわけだからである。
電子新聞の影響、というような次元の問題でもないからである。
というか、ここまで「新聞離れが進んでいるのか」
と衝撃をうけた。
「新聞」は、無料でも手にするに値しない、
それが現実というわけだからである。
電子新聞の影響、というような次元の問題でもないからである。
フリーペーパーは飛ぶようにはける。
無料ビジネスがビジネスモデルとしてもてはやされる。
しかし、「新聞」はタダで配っても拒否される。
読みにくい時代ではある。
しかし「読まずばいられない」現象というべきであろう。


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