百貨店が振るわなくなった意味2009年04月15日 22:45

昨日公表された
「大手小売業」の2月期決算の状況が,
今朝の新聞各紙に載った。
百貨店もスーパーも
軒並み利益の落ち込みがすさまじい。

マクネアの「小売の輪の理論」では,
スーパー・ストアは,
低価格を武器に百貨店に対抗し,
これを超えようとしてできた
新しい小売業態であった。
日本では,〈主婦の店〉「ダイエー」が,
総合スーパーとして巨大化,
1970年代に売上で
三越を抜いたのが典型例である。
当時,大変な話題を呼んだ。
以後,百貨店は,
衰退のワダチから抜け出せず,
今では総合スーパーも
往時の勢いを完全に失った。

「小売の輪の理論」から見れば,
いま最も気合が入っているのが,
製造型小売業。
UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE を謳う
“ユニクロ”が体現する業態である。
「小売の輪の理論」の新しい輪を示すとともに,
折からのDepressionによる
徹底した低価格へのこだわりが後押しをする。

これに対し,
百貨店の不振は,
酷烈とか凄烈といった形容こそが
あてはまるというべきである。
J・フロントリテイリング(大丸+松坂屋)は,
営業利益が前期比34.1%減。
高島屋の連結営業利益は,34.2%減。
ミレニアムリテイリング(そごう+西武)も,
営業利益の落ち込みが26.5%。
これは不況のあおりで
「宝飾品や主力の衣料品が売れなかったせい」
というようなレベルの話ではない。
まさに構造的なトレンドだというべきである。
百貨店の利用に関する最近の調査によると,
百貨店に感じる一番の魅力は
「高級感」である。
しかし,
同時に最も多い不満が「価格が高い」。
ここに読む解くべきポイントがある。

「高級感」をもとめることが
「高価格」を受容することと
一体ではないからである。
百貨店全盛時には
「高級感」と「高価格」は
当たり前のように並存していた。
一つ上か,二つ上の
ステータス風を求めつつ
デパートメント・ストアに詣でるのが
当世風だったのである。
その背景にあったのが
いわゆる「一億総中流」の
意識の広がりであった。
下の層の人たちが,
階段を上っている実感を得,
多くの人たちが
自分を「中の中」に格付ける
という動きであった。
中間層が年々その厚みを増していった。
「高級感」を与えるものは
「高価格」であり,
それを手にする自分は
かつての自分とは違うと思ふ錯覚の妙。
百貨店は
こうして大衆的に支持された時期をもった。

これに対し,現在,
中間層の両極分解が進む。
一握りの上層と
底の知れない圧倒的な数の下層と,
という具合に。

自分を“デパートの顧客”と思う錯覚はもう生じない・・。

生協が向かう先2008年02月14日 23:01

いまどきの生協というべきなのだろう。直接には殺虫剤が付着した「手作り餃子」。これは価格競争の前に、「安心・安全」へのこだわりが消し飛んだ結果。だから「揺れる生協ブランド」ということになる、というのは本日の『朝日』の夕刊(15面)。同記事によれば、日本生協連のいわゆるPB(Private Brand)は7000品目弱で、食品は5500品目を超える。そして「バブル崩壊後、スーパーの安売り攻勢など業況が厳しくなる中で、低価格路線を強めて」おり、それが中国産の食品、中国産の「餃子」となったのだ読める。もちろん、中国産だから安全に問題がある、とするのは短絡というほかないし、生協と限らず現在の日本の食品が、中国抜きに提供できると考えるのは非現実的である。

いま問題とすべきなのは、生協と他の小売業との差異がほとんどなくなっているということにある。生協(生活協同組合)は、もともと「営利を目的とせず、相互扶助による生活者の経済的、文化的な生活の向上をめざし、自発的に設立された組織」である。それが、営利を目的とする小売店との区別をなくしている。

大学生協もその例外ではない。勤務先の「大学生協」で言えば、書籍部などはもはや目も当てられない状況を呈している。並んでいるのは、雑誌と文庫とハウツー本などまだ売れる商品のみ。専門書はほんのちょっぴりアリバイ的に置いてあるに過ぎない。専門書は書棚に並べてもほとんど動かないから、というのがその理由。しかし、これは専門書という現物が読み手を作り出す関係に思いが至らないという意味で発想が逆というべきである。

ま、教科書も買わない学生たちという現実の前になすすべがないというのが現実ではあろう。何しろ試験当日、教科書が売れたと思ったのもつかの間、試験終了後、一切使用しなかったから買い戻してくれとスゴむのまで現れる始末というのだから・・。

“伊達の初売り”の変容2008年01月06日 20:46

初売りも今日あたりまでだろうか。仙台の初売行事は全国的にも知られている。大盤振る舞いと福袋と。とはいっても実は伊達者のやることだから、一種お祭りとしての色あいが濃厚な伝統行事として続いてきた。売る側は、大盤振る舞いを演出し、買う側は早朝から繰り出してその気合を楽しむ。祭りの最前線に参加できる人数にはさしあたり限りがあるからである。だから、早朝まだ夜が明けぬ時間帯に起きて行動を開始することに抵抗はないものの、行列にアレルギーを感じる身であれば、この伝統行事の最前線に関わるということはほとんどないまま今日に至った。初売りの日に街に出るとしても、お昼過ぎに散歩がてらというのが定着してきたのである。

そうしたスタイルで見た今年の街は、これまでとはいささか違った雰囲気を感じさせた。一言でいえば“福袋の偏在”。もちろん店員がいくら呼び込みの声を張り上げようとも、一向に客が寄り付かない店は従来もあった。私は「ハズレ」を知った上で、こうした店の福袋を行列という苦行なしに買い求めたことがあった。偶には「当たり」のこともないわけではないからである。行列の出来ない店の福袋には、前年の商売の結果が詰まっており、どうしても売れなかった品物がこれで消えてくれるという売り手の切羽詰った思いが込められている。だから、予め中身が何かを問うのはルール違反になるし、固く結ばれた袋の口が販売前にいささかでも隙を見せることは決してなかった。そのかわり、たくさんある福袋のいくつかには「まともな」品も忍ばせておくという罪滅ぼしがなされてきた。伊達者のお祭りたる所以であった。

ところが、今年は、正午をまわっても開店時の形状のままではないかと思われる“福袋の山”を抱えた店がいつにも増して目立ったように感じられた。こうした現象と恐らくは関係するのであろう。日経新聞の東北経済面に「今年は店員に中身を確認する客が目立った」とあった(5日付)。売り手と買い手の暗黙の了解のもと、お祭りが成立するという空気は消え失せようとしている。伊達者が文字通り伊達な存在としてあることが最早許されなくなったのである。今年から初売りとバーゲンセールがかぶるようになったのも根っこは同じと見た。

小型充電池問題2006年12月12日 17:36

先日、ドコモのケイタイが異常発熱し、場合によっては発火するというので回収を始める と報じられた。三洋がOEMで三菱に供給した機種。1日おいて松下製にも 同様の問題があることが判明した。今年はSONY製のバッテリーを搭載したノート型パソ コンが火を噴いたことで大きな問題となったが、ここにきてケイタイもそれに加わった。

この「小型充電池問題」を3つのポイントで考 えてみる。まず技術開発上の温度差。「中心(基軸)と周辺」というカテゴリィがあるが、 技術開発の対象が中心にかたより、周辺には目が及びにくいといのがここでいう「温度差」。 もっぱら中心=本体の改良に意を注ぎ、周辺機器は二の次になるという図式にほかなら ない。もちろんバッテリーはACアダプターなどとならんで周辺・付属機器に位置づけられてきた。 だから、電源を入れたら、即座に起動することを強く要望するユーザーがごまんといても 依然付属機器の扱いがそのまま続いてきた。火を噴く充電池というのは、即起動という過大な負荷 に技術が追いついていないことを意味する。

もう1つが、企業論理の問題。欠陥品であることを認識してなお公表しない。もちろんバレた らそれだけ傷口は深く大きくなる。ドコモの出費は結局30~40億円にのぼった。公表せずに なんとか乗り切れるという思い込みが何度も繰り返される「悲劇」というより「喜劇」。被害にあったユーザーの怒りはいかばかりか・・。

機種の 短命化の問題もある。企業間競争によって頻繁にモデルを替えることが宿命付けられている。もちろん、 これを演出する仕掛けがあるのは周知のことだ。例えば広告を先頭とする意識産業のユーザー向け オルグは"完璧"だ。ユーザー(=消費者)は、自ら店頭出現を"命令"した機種が次々と出てくる と観念するようにつくられている。もちろん「観念が」「つくられている」ことは意識されることは まずない。だからしょっちゅう買い換える(本体を安くしつつ、それを高めに設定した通信料・回線使 用料などのランニングコストで回収する、という手法への対応策という面はある・・)。とまれ、こう して1つの機種が現役で店頭を飾るというのはわずか数ヶ月という事情が生まれた。しかしビジネスみ ずから仕掛けたこうしたワナが、みずからを苦しめる結果になっている、というのが「小型充電 池問題」なのではあるまいか。初期段階で、何か不具合がありそうだとわかったとしても、その原因を突 き止め、技術的に対応するという時間は与えられていないからである。欠陥品がそのまま店に出てしまう のを防げない。「早く、早くって言われてもねぇ」という技術屋さんの本音を受け容れるだけの 余裕はいまのビジネスにはない。

と、書いたところで、歳末セールで、ケイタイを替えようと思って いたのを思い出した。いざYDデンキへ・・(*^.^*)。