緊急シンポジウム ― 2011年04月20日 20:35
前回,
「外に出て、何かをする準備が遅まきながらできた。」
と書いた。
その「外に出る」ことになるのか,
と問われれば,自信はないが,
先週末,
東北本線と福島からは新幹線を乗り継いで上京し,
「今、日本で何が起こっているか―3・11大震災と福島原発事故を考え
る」という緊急シンポジウム(緊急集会)で発言してきた。
大震災と原発という問題に直面して,
これからいったいどのような方向を考えることができるのか,
を提起してみたいと思ったからである。
「外に出て、何かをする準備が遅まきながらできた。」
と書いた。
その「外に出る」ことになるのか,
と問われれば,自信はないが,
先週末,
東北本線と福島からは新幹線を乗り継いで上京し,
「今、日本で何が起こっているか―3・11大震災と福島原発事故を考え
る」という緊急シンポジウム(緊急集会)で発言してきた。
大震災と原発という問題に直面して,
これからいったいどのような方向を考えることができるのか,
を提起してみたいと思ったからである。
ポイントは,
巷間いわれる
「巨大地震・大津波・原発」の三大苦とか,
「風評被害」を加えた災禍四点セット
というだけでは,
現実をとらえたことにはならないという点。
震災当日の「寒さ」(雪が降り,翌朝は氷点下
にまで下がった)という「苦」が加わり,
これからのありうべき社会
という観点からは,
「被災格差」とでもいうべき
社会的現実を直視しなければならず,
さらに,
そもそも近代以降,
日本資本主義において
「東北」という地理空間が
いかなる位置づけを与えられてきたのか,
このことと今回の自然災害とを
繫げてとらえかえさなければという点を強調した。
それゆえに,
「東北」から新しい社会を構想する必要があるし,
構想すべきであると、最後に主張した。
それはまさに“A Calm Revolution”(静かなる革命)
とよぶべき運動なのではないかと・・。
なによりも"効率”を優先するひ弱な社会ではなく、
人と人が小さな地域を軸につながる社会、
ムダを否定せず、これを受け入れる社会etc.
だからキャッチコピーは
“震災を静かなる革命に転化せよ!!”
98歳、新藤兼人の凄さ ― 2010年09月21日 20:53
一昨日、NHK教育テレビのETV特集を観た。
新藤兼人はいま98歳である。
孫娘の新藤風が生をささえる。
これまで映画48本のメガホンをとってきた。
49本目となる今回の作品を、自ら「遺言状」と呼ぶ。
「遺言状」に選んだテーマは「自身の戦争体験」。
丙種合格だった新藤にも、1944年(昭和19年)3月、
赤紙が届いた。32歳だった。
彼は、呉海兵団に召集された。
その時召集されたのは100人。
みな30歳を超えたいわゆる老年兵であった。
掃除兵として任務に就いた。
つまり、「戦争の現場」ではなく、
いわば「銃後の守り」に就かされたのである。
ある場所での役目が終わると、
次の任務地(国内・国外)に移動させられる。
誰がどこに移動するかは、すべて上官がひくクジで決まる。
移動途中、当然のことながら爆撃の対象となる。
結局、最後に生き残ったのは100名のうちわずかに6名。
新藤は、その一人であった。
新藤が「遺言状」のテーマに「戦争体験」を選んだのも
100名のなかの6人になったからである。
生きていることがそのまま「原罪」だったからである。
老年兵は、そのほとんどが妻子もちだった。
94の家族が家族として持続することを断念させられた。
新藤は、「戦争」が家を、家族を
破壊する凄惨を目の当たりにした。
新藤は、「戦争」が常民の日常生活に潜ませる
怒り、悲哀、くやしさを見透かした。
それを象徴するのが一枚のハガキ。
フィリピンでの任務を命じられた同期兵に,
その妻から届いた一枚のハガキ。
「今日はお祭りですが
あなたがいらっしゃらないので
何の風情もありません」
日常を切り裂く「戦争」の意味を凝縮する文面。
これが60年以上新藤のなかに棲み続け、
「遺言状」としての映画をつくらせた。
「戦闘シーンがまったくない戦争映画」
の凄みが滲む。
新藤の演技指導も見るものを圧倒する。
いかにも新藤らしいリアリズムではあるが、
98歳の頭の中に完璧に出来上がっている演技のイメージを
微に入り細を穿つ形で実に丁寧に出演者に
伝えていく。
伝えられるのは大竹しのぶ、倍賞美津子たち。
みな素直にかつ懸命に、
そのイメージの再生・具体化につとめる。
麿赤児も出演する。
久しぶりに麿を見た。健在だった。
リハーサル風景にしてなお見る者を
「新藤の世界」に引きずり込む迫力。
封切りは丁度1年後。
運ばずにはいられない・・。
「反骨」の「外骨」 ― 2010年07月14日 21:30
朝日「ニッポン人・脈・記」の項があらたまり,
きょう(東京版は昨日の夕刊)から,
「毒に愛嬌あり」が始まった。
テーマは宮武外骨。
その存在は知っていたものの,恥ずかしながら,
詳しいことはまったく不明だった。
反骨精神あふれる,まことのジャーナリスト。
いかなる表現にもおさまらない怪人物だったようである。
記事に,赤瀬川原平が,1960年代後半に,初めて
外骨(の刊行した雑誌)を知ったいきさつが紹介
されている。
「どこか人を食ったようで怪しげだが,レイアウト
も丁寧で,編集センスもよかった」雑誌を古書店で
偶然手に取った話である。
興味がつのったのでWikipediaを引いてみた。
そうすると,外骨というのは17歳の時に幼名を
あらためたので正真正銘の本名だった話とか,
外骨が手がけたもので最も成功した『滑稽新聞』の
モットーなどがわかり,すこぶる面白い。
モットーは『威武に屈せず富貴に淫せず,ユスリ
もやらずハッタリもせず,天下独特の肝癪を経(たていと)とし
色気を緯(よこいと)とす。過激にして愛嬌あり』
だったとある。
今日ジャーナリストは,絶滅危惧種と化してしまったが,
まだ少数でも残存しているのであれば,ぜひこれを読んで
欲しいと思う。
赤瀬川が喝破する。
「権力批判が理屈ではなく,一番根源的な感覚の
ところで行われている」「すごい人がいたもんだ」。
権力に対する根源的な批判!
いまの権力批判は,もっぱら市場原理の砦から行われる
それでしかない。
わたしたちは「根源的批判」の意味と重さを知らね
ばならないのである。外骨の「反骨」を学ばねばなら
ないのである。
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