トイレの女神を唄える“はっぴねす” ― 2011年01月29日 09:29
オバマの失速 ― 2010年11月04日 18:17
「民間療法にも保険適用」 ― 2010年02月15日 21:48
脳科学者の池谷裕二が,
プラセボ効果について書いている(『エコノミスト』“闘論席”)。
男性ホルモンを人間に注射した実験の紹介。
一般に男性ホルモンは挑戦的、攻撃的になることと関係するように
思われているが、実はどうなのかという話である。
端的にいえば、本人に知らせずに,男性ホルモンを注射した場合、
「俗説とは裏腹に」攻撃性はむしろ後退し、
「男性ホルモンを投与する」と伝えた上でニセ薬を注射すると
“攻撃性”が高まる結果が見られたということである。
これを、池谷は「科学的事実だけでなく、社会通念もまた真実を作る」と説く。仮にこれが真だとすれば、このことから、どんなことが推測できるだろうか。
とりあえず、こんなことが言えそうである。
それは、「これで奇跡的に治った私」の類が後を絶たないとか、
あるいは小集団を率いる“教祖”がいつの世にも簇生するには、
それなりの理由がある、ということである。
ある人は「心から信じて、自らの治癒力を引き出す結果」となった(でも、科学次元での普遍性をもたないがゆえになんぴとにも通用するわけではない)。
厳しきことこの上ない“修行”に堪えてこそわがものとなる“超能力”というストーリィの出現・・。
と、みれば、“鳩山、「民間療法への保険適用」の検討を開始”、との見出しあり。これって、つまりは(近代)合理主義をOne of themに寄せちゃうということだよね!
れんぼうは,らんぼう(?) ― 2009年11月25日 18:51
七色れいんぼう,単色れんぼう
れんぼ,れんぼ,よこれんぼ れんぼう,れんぼうあばれんぼう
暴れん坊は“あば”蓮舫,ってか!
とでも囃したくなるシーンが続く。
行政刷新会議「事業仕分け」の
第2ラウンドが始まった。
昨日から今日にかけ,
テレビでは報道番組だけでなく,
ワイドショーなどでも大きく取り上げた。
Webでも生中継が行われている。
昨日の傍聴人は,1,500人を超えた
というから驚く。
第1ラウンド初日の傍聴者は,
数えるほどだったのとはえらい違いである。
昨日の傍聴者に,
横浜から来たという
小学生の男の子がいた。
「なぜ,傍聴に?」との問いに
「れんぼーさんの,つっこみがみたかったから」。
傍聴後のインタビューには
「れんぼーさんの,するどいツッコミが見れて,来て良かったです」。
すごい小学生である。
しかし,小学生の男の子を
「事業仕分け」の傍聴に動員した
“れんぼう”はもっとすごい。
そして,れんぼうの凄さを引き出したということで,
さらにすごい,っていうか,
れんぼうの存在感を高めてしまったのが
「国立女性教育会館」の理事長である。
「私の話も聞いてください。一方的にただ質問に答えろというのは心外です」と,
れんぼうに迫ったあの方である。
「仕分け」作業における,
れんぼうのぜんぼうを
あますところなく伝え,
出色の出来栄えなのが
小田嶋隆のWeb記事。
全文を読むには
多少の手続が要るが,
その手間をかけるだけの価値は十分にある。
抱腹絶倒疑いなし。
ところで,小田嶋は,
れんぼうの対応,しぐさには,
いささか否定的というか
複雑なというか,
そんな視線を注いでいるものの,
「仕分け」そのものには,
必要なこと,やらねばならないこと
というスタンスをとっている。
確かに,政府予算の無駄を省く,
というのだから,
異議を唱えるのは難しい。
しかし,ことはそう単純なことではない
ことも知っておくべきだろう。
予算執行の仕組みそのものに内在するムダ
(とくに縦割りにともなう重複とか,
予算の執行には条件が不可欠だが,
その条件を担保すべき
他の省庁の動きがないとか,
多種多様なムダ)は,
間違いなくある。
これは削除すべきである。
しかし,今回の「仕分け」は,
いささからんぼうではないか
と思わせるやり方が
支配的であるようにも思う。
例えばスパコンの開発予算の凍結
というのに象徴されるように,
判断基準が
「目の前にある現実」にしばられている。
あるいは「ビジネス的基準」といいかえてもよい。
「企業だったら,そんなことはしませんよ」
という物言いになるのである。
政府は,企業ではないから存在する,
国の「原理」と
企業の「原理」は違う,
ということが認識されていないのである。
らんぼう,
というのはこの意味なのである。
単色れんぼう,
というのはこの意味なのである。
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