スロー&スロー2011年03月08日 21:50

一ヶ月、間が空いてしまった。
仕事の処理スピードが人間らしくなったためである。
これまで3日でできていたことが
倍近くかかるようになった。
実際は、それほどではないが、
気分的にはそうである。
一日の時間の流れもスロー&スロー。
だからブログに投稿するのも
間延びするのである。

ところで、先日後期日程入試があり、
今年度の入学試験がすべて終了した。
例年にもまして
この国における教育の「変容」を痛感した。
「変容」というのは,
「荒廃」,「衰微」,「矮小(化)」などと
代替可能であるという意味である。
背景にあるのが,
「無批判」,「従順」,「お行儀の良さ」を
何よりも受け入れ,肯定する時代の意思である。

ところで,
採点作業の最中に
例の”Yahoo知恵袋”の件が明るみにでた。
京大の入試を受けた19歳の少年の
通っていた予備校の地元だったので,
まるでネット並の詳しい情報が
採点作業の合間にとびかった。
ご子息が予備校の同じクラスという教員
がいたからである。

もちろん、19歳の少年の個人情報に関心はない。
ただ、今回のことは,
私たちがいかなる時代に
生きているのかを教えてくれるテキストではないか
という点において興味をそそられる対象となった。

まず,
いまの(これまでの)入試とは何か,の問い。
暗記する力・記憶力の比重が圧倒的に大きい入試。
しかし,これがあまり意味のない段階に入った,
ということではないか。
現実は,覚えていることが
肝心なことではなくなったのである。
ググってしまえば分かるのだから。
ヤフー“ブクロ”にお尋ねすれば教えてもらえるのだから。
日常においても,分からなければサーチエンジンで
間に合わせる,こんなことが当たり前となった。

今回だって,バレなければ,
難関を突破していたとも考えられる。
ヤフー“ブクロ”という
この国で至極ポピュラーなところに
頼ったからこそアウトになった・・。
Yahoo!Answers
にでも投稿していたら・・。
表沙汰にはならなかった?

むろん,Yahoo!Answersとか
ヤフー“ブクロ”などで済ませてしまうのは,
「人」が状況と格闘しつつ,
あるいは
「人」が相互作用のダイナミズムをくぐりぬけて
新たな“世界”を切り開くといったこととは
まったく次元が異なる。
そんな「高尚な」ことからははるかに隔たっている。
用意されてあるものを
ピックアップしていく
そんな行為でしかない。
人よりも手際よくできるかどうか,
それだけが問題なのである。

自分で問題を立て,調べ,悩み,考え,
しかるのちにゴールに辿り着く,
そんなこととは地平が違う。

先に,
「無批判」,「従順」,「お行儀の良さ」
と言ったのはまさに思考することとは
対極にあることを指している。

今回の,ヤフー“ブクロ”事件は,
教育のありかたを
根源的に考え直すことを
促しているのではあるまいか。



シューカツとエントリィシート2010年12月14日 21:11

ブログの更新がままならない。
とりあえず「手控え」のつもりで、
きょうあったことを書いておく。

学部の3年生が就活をはじめて3ヶ月。
長~い、体力勝負の序盤戦が終わろうとしている。
「シューカツ」が“葵のご紋”と化す期間が延々と続く。
「シューカツなので」と一言発すれば、
これがすべてに優先する(かのような)日常。
“名ばかり大学”がヨリ一層磐石となる日々。

そんな中、
ゼミ生数人が「相談が・・」と寄ってきた。
きけば、
エントリーシートを書いたので添削して欲しい、とのこと。
初めてのことである。
これまで、エントリーシートの添削は未体験ゾーンに属してきた。
それだけ現実は切羽詰まっているのである。

メールに添付されたファイルを開く。
懸命に綴った跡がうかがえる。
日頃の言動とはいささか次元が違う印象がある。
が、通り一遍の文章であり、インパクトはない。
なぜ、この企業に入りたいのかの
切実さも皆無である。
どうも、「エントリーシートの書き方」マニュアルを
下敷きに作成したもののようだ。
だから形としてはどこにでも通用する格好となっている。
ということは、もちろんどこからも評価される対象では
ないということにほかならない。

企業の個別性にもふれているものの、
企業側からすれば、「みんなそれを言うのよね」
でお仕舞いとなるような代物。
これまで、
60社受けたとか100社近いとか言っていた過去のツワモノは、
なにゆえにその痛苦に耐えることができたのだろうか。
まさか原シートがあって、
ほとんどそのままコピーして
というのではあるまい・・。

とまれ脱マニュアルというやり方を
「マニュアル化」せず伝授できるかの
試行錯誤が始まった。
これも給料のうち・・。



「多様な解のある課題」とディスカッション2010年12月05日 14:37

ノンフィクション作家の柳田邦男が、
この国における教育を嘆いていた(『河北新報』12月3日付)。
「知識偏重と正解が1つの試験成績の向上ばかりに力を入れてきた」
のではないかと。
もちろん、
同様のことはこれまでも多くの論者によって指摘されてきた。
柳田の文章で興味を呼ぶのは、
「真の知的水準を上げる」と柳田が考える具体例をあげている点である。

東京都江東区のある小学校6年生の学級討論会の事例として、
次のように述べる。
教師が黒板に次のようなことを書いた。
「水族館の生きものは幸せである」。
イエスと思うもの、
ノーと考えるもの、
さしあたりどちらとも言えないとするもの、
に分かれディスカッションが始まった。
それぞれのグループが、なぜそう判断するのかの理由を、
考えられるだけあげる格好で、
生き生きとした発言が飛び交う場が生みだされた。

これをうけながら教師は、
「どちらかに軍配を上げることはしないで、
一人一人が自分で考え、意見を出し、
相手の主張にも耳を傾ける大切さを強調して、
授業を終わりにした」。
要は「多様な解のある課題をどうとらえ、
どう対処すべきかを探る思考力」
が最も求められるものにほかならない、と柳田は主張しているのである。

確かに、
いまの大学生は発言した相手に異議をとなえ、
反論するということができない。
いな、知らない。
それぞれの言い分が交差することを経験したことがないのである。
Dialecticsの醍醐味を覚える場をもったことがないのである。
だから、大学生には、まずは小学6年生でもできる、
双方向でやり取りする快感を知って「いただく」
ことが必要なのである。

こんど黒板に「書も読まず、何もせず、
単位を取得して卒業する学生は幸せである」
と書いてみようと思う。
イエスかノーかどちらでもないか、
その理由を可能な限り挙げよといいながら・・。

ガクセイうんどう2010年08月18日 21:41

時間の流れが速すぎ,ブログの更新が滞りがちである。
それはともあれ,
連日続く猛暑にも拘わらず,とっても珍しい出来事があった。

4月からゼミ生となったH君が突然部屋に訪ねてきた。
「相談したいことがあるのですが,いま,よろしいでしょうか?」
「いいですよぉ,どぅ~ぞ」
「実は,ぼく“学生運動”をやってみようかなと思って・・」
「んっ?ガ,ガクセイうんどう!」
「1960年代と1970年代に書かれた本を何冊か読みました。
そうしたら,今ぼくのやりたいことは,どうもその時代の
大学生がやっていたこととカブるんです」
「ほーっ!そうなの・・。で,重なるというのは,具体的に
どんな点?」
「大学の枠をこえて,学生が一堂に会し,社会のための
一大ムーブメントを起こす,ということです・・」

どうやら中味というよりも形というか,外見から理解した模様である。

「学生がある場所にあつまって,社会のために何か,する,
というのがやってみたいガクセイうんどう,っていうこと?」
「そうです。仙台だったら,例えばK台公園に数千人の学生が
集合し,チャリティのためのイベントを行うということです」
「学生運動というのはチャリティ活動である,と理解した
ということね?」
「はい。公園のあるブロックではコンサートをやり,他の
ブロックには飲食店を並べ,さらにFlea Marketなんかも企画
する。売上は原則,社会福祉とか海外飢餓救済のために充てる
というようなことを考えてます」
「なるほど」
「いま周りの学生たちは,遊ぶことかバイトにしか興味がないようです。
勉強するなんてヤツは皆無です。もちろん本を読むなんてこともしま
せん。そんな学生生活でいいのだろうか,それで大学出たところで何か
意味があるのだろうか,と思っていたのです。そうしたらY県のT芸術工
科大に通っているgirl friendがまったく同じようなことを考えていたの
で,話がはずみ,どうすればいい?何かできないかな?昔,学生運動と
いうのがあったらしい,ということになって,さきほど申し上げたよう
なイメージになったという次第です」

「面白そうじゃないの。21世紀型学生運動,ま,いいかたももう少し
変えてもいいと思うけど,学生運動のネオタイプがあってもいいのじゃ
ないかな。ただ,コンサートとか飲食店とかフリーマーケットといった
月並みな発想を超えてまったく新しい,いまの学生を振り向かせられる
ような,しかも社会への関心を惹きつけられるような企画を考えてみた
らどうだろう?」
「彼女と一緒に考えてみます。また来ます」

大学が変貌し,大学生が変質し,学生運動がほぼ消えて久しい。
はたして彼は彼女と一緒に,クリエイティブで新しい「学生運動」
を思いつくだろうか?

たまたま書棚に目を向けたら長崎浩『叛乱論』が目に止まった Ach!