久しぶりにパソコン購入・・で2010年04月25日 13:37

パソコンを新規購入した。
使用中の
PCが“掃除機”と化したからである。
“掃除機と化した”,というのは,
音がまるで掃除機のようになったの謂いである。
起動時の「気張る」ところを示そうとする声は比較的おとなしい。
しかし,ブラウジングが進み始めるとさっそく不貞腐れを起こす。
これにウィルスチェックのプロセスが加わろうものなら,
かまびすしさはうなり声そのものとなる。
負荷を嫌って癇癪を起こすのである。
冷却のためのごく普通の「風きり音」とかファンのモーター音,
あるいはハードディスクのいわゆる「シーク音」等のレベル
とはまったく違う異常が襲ってくるのである。
種々対症療法を試みてはみたものの一向に静まらない。

そこで新規購入の決断となった。

家電量販店に赴いた。
PC売り場では,想定外のことと想定内のことに逢着した。
まずは想定外のこと。
前回の
PC購入は3年以上前であった。
ネットから注文し,確か
45日後に届いた。
今回はリアルショップでの購入。
「買う」ことを前提に
PC売り場をのぞくのは,だから5年ぶりである。
「あらら,ディスク・トップがない!」
ずらり並んでいるのはノート型やいわゆるネットブックばっか。
そんな馬鹿なと思いつつ,さらに奥へと進んだら,
ようやくディスク・トップと書かれたコーナーが現れた。
が,どうも様子が変である。
ディスク・トップなのに「本体」がない。
そう,いまや本体はモニタに合体されて「一体型」となっていた。
「一体いつからこんなことに?」。
それはともあれ,旧来型のディスクトップは,
とさらに見渡せば,あるにはあった。申し訳程度に鎮座していた。
のみならず,
ネットでチェックした際に,その「静音性」が特徴とあった
「機種」が偶然目の前にあった。
係りの店員を探し,いくつかの確認事項を尋ねた。

そう,ここからが「想定内」のことである。
店員は,ここでもまた埒が明かない典型を示してくれたのである。
散々やり取りをした後,実は展示されている当の機種は,
在庫がなく,入荷は
2週間以上先だというのである。
当方は,即持ち帰ることを前提に来店した旨を告げた。
そこで,彼は情報端末をたたいてみせた。
新宿店に店頭在庫があるので,それを取り寄せれば
数日以内にははいるという。
ここまでは,どちらかといえば客にとってはさほど問題はなかった。
むしろ,いまどきの客対応としてはいい部類に属しているといえなくもない。
ところが,この後がよくなかった。新宿店からの取り寄せ手配,
当方との売買契約成立にともなう書式作成等等,
しきりに端末をたたいては汗を拭き,汗をふいてはモニタをにらみ,
が繰り返され,結局,入店してから,店を出るまで,
1時間はゆうにかかったのであった。
たかがPC
1台の買い物,にである。
すでにこうした事態は
「想定内」「当たり前」「普通」となったことは認識しているものの,
その通りでしかないと,やっぱり疲れるのである・・
Pfui




「名残の雪」異聞2010年03月10日 12:20

「名残の雪」は,“超芸術トマソン”の階段も演出した

 朝,起きたら目の前に「なごり雪」があった。
春なのに残っている雪ではない。春なのに降る雪である。
季節はずれの雪,伊勢正三がうたい,イルカが広めた,
あの「なごり雪」の情景である。
ラジオは「24センチの積雪」と伝えた。
が,見た目は30センチ。
久しく積雪を経験しなかったので,気分は多めに見積もることになる。

出かける前に雪かきをした。
袋小路となっており,
都合限定された七世帯ほどが共用する道を“拓いた”。
行き止まりには,某大手損保の社宅があり,比較的若い五世帯が暮らす。
出勤する“損保マン”が,雪かきしている前を通る。
たった一言「おはようございます」。
これが,限定七世帯の一員のことばなのである。

これを,いかに解釈すべきか。

かつて大雪に見舞われた時,当時の“損保マン”は率先して雪かきをした。
後れをとった当方は,恐縮しつつ,作業に加わり,
会話を交えながら,短時間で仕上げた。
朝めし前のすがしい動作であった。
共同作業の“力”を実感する何かがあった。

きょうび,それが変わった。
たった一言「おはようございます」
で通り過ぎる関係に変わったのである。
雪かき作業への言及は一切ない関係へ。
これを「けしからん」,「不届きだ」とみなすか,否か。

結論は,現在の若い“損保マン”とて,
雪かき作業に加わらないことは気に掛かっており,
それが「おはようございます」という挨拶として表現された,
と考えることにした。
普段は会っても,いかにも面倒くさそうに,会釈するだけだからである。
言葉を発することは非日常そのものだったのである。きっと!!

それにしても,損保マンの若きパートナーにも驚かされた。
これまた「おはようございます」とだけいいつつ,
雪かき作業の傍,
子どもを立たせ「ハイ,チーズ」とデジカメを向けたからである。Pfui!

   


キャリーバッグの新しい「罪」2010年02月28日 10:29

通常、新幹線に乗る時には、
2人掛け座席の通路側をとる。
ネット経由で、車両も、列も指定できるようになった。
それが、昨日上京の折には、2人掛け座席の通路側という
「定型」を破り、
3人がけ座席の通路側にした。
真ん中の席は、結局座る客がおらず、その分、
気分的に楽に乗れる場合が多いらしいというのを
思い出したからである。

画面で席を検索した際に、なるほど真ん中は空いていた。
「しめしめ、これだ」と思った。が、現実は甘くはない。
車両に乗り込み、指定した席に着くと、
窓側にも、真ん中の席にも客がいた。
もちろん、これだけなら、想定が外れてしまったと、
ちょっとした「不運」を感じるだけである。

ところが、昨日は、乗った車両は満席だったばかりでなく、
窓側、真ん中の客の大きな複数のキャリーバッグによって、
荷物棚が占拠されていた。
しかも、前後の列も、通路をはさんだ向かい側の棚も、
キャリーバッグが鎮座する異常事態。
つまり、当方の荷物を納める空間が
まったくない事態に直面したのである。
キャリーバッグの場合、すき間をつくってあとから荷物を
押し込むことはできない。
キャリーバッグは、持ち運びの容易さに加え、
「定形」であるがゆえに使われていると見られる。

で、結局、どうしたか、といえば、わが荷物は足元に置かれた。
つまり、窓側、真ん中の客にとって、席を立つことは、
このバリケードを「なんとかする」ことを意味した。
荷物を足元に置いた当方にとっても大いなるプレッシャーが襲った。

キャリーバッグの「罪」「トラブル」が指摘されて久しい。
他者の身体を撃つ、進路を妨害する等の「罪」に、
新しい「罪」が加わった日であった。




大晦日―地方紙の魅力など2009年12月31日 18:33

「青森駅は雪の中」
一昨日ささやかな祝い事があり,
青森に行った。
帰りの「青森駅は雪の中」のおまけつき。

旅や旅行で他所に行った時,
可能な限り,地元紙を買う。
青森には『東奥日報』がある。
きのうの朝刊トップは,
「脱路上生活 念願のアパート入居」
長い路上生活ののち,
渋谷での雑誌売りが,
なんとか生計への展望をもたらし,
念願のアパート入居がかなった
という,八戸出身の元ホームレスの話である。
地方紙ならではの味わいがある。
地域に焦点を絞る,その編集のスタンスに
非常に好感が持てる。

そして,興味をそそられた記事がもう1つ。
フリーペーパーからいまの時代を覗く
という企画である。
無料で配布されるフリーペーパー。
この「敷居が高くない雑誌に」
載った「硬質な文章」の話である。
硬質な文章の書き手として
登場するのは藤原新也。
フリーペーパーでも,
文章を十分に味わう読み手が
出現しているのが現代なのだと説く。
読み手が真剣になるのであれば
当然書き手もそれを意識して文を書く。
藤原の場合,
「書き手と読み手の関係を完全にフラット」化するのが
読まれる文章を綴るコツなのだ,とある。

生活日常における人間関係のフラット化が,
いろいろな形をとりつつ,
進行していると感じられるようになってから,
結構時間が過ぎた。
「タメ口」などというのが,
話題になったのはその1つの表れであった。
それが,雑誌の文章をめぐる,
書き手と読み手の間にも浸透している
というから面白い。
しかも,フリーペーパーの動きに,
それが明白というのだから・・。

「フラット化」なる現象。
現代を読み解くキーワードとして
様々な視点から考えてみたい。

今年もあと5時間半ほど。
どうぞ佳いお年を!!