震災と絵巻物 ― 2010年09月01日 21:53
先月のエントリーはたった3回になってしまった。
なぜだろうかと考えてみたら,やっぱり
夏休みの始まりが8月第2週からとなった
ことが大いに関係してそうだ。
身体に刻み込まれた夏のリズムが乱れてしまった。
休みが短縮したのに,やらねばならない事は
従来通り(いやぁ,それ以上?)なので,
時間が過ぎることの速いこと,速いことと相成った次第。
それに,もちろん猛暑のダメージ。
いつまで続くぞ,この暑さ。
とまれ9月に入った。
きょうは防災の日。
未明,消し忘れたラジオの音で目が覚めた。
偶然,「関東大震災の被災者を追って」というのが
流れていた(NHK「ラジオ深夜便」)。
災害史研究家,北原糸子さんという方の話。
まどろみながら聴いたのだが,
強く印象に残ったことが,いくつか。
例えば,関東大震災の話。
大地震は正午前だったが,上野駅は閉鎖されず,
多くの人達の避難先となっていた。
しかし,夕方になり駅全体が炎に包まれた。
大震災に伴なう火事は,
揺れと同期的に一斉,同時多発
かとイメージしていたが,
そうではなく,いわば五月雨的・連鎖的に
発生するものらしい。
現代でもそうなのだろうか・・。
多くの人は,被災後間をおかず故郷に疎開した。
その際,
罹災証明は,被災者の疎開先の地方政府が発行
したとのこと。これも初めて聞いた。
しかも,罹災証明があると,東京に戻る時の汽車賃は
負担せずに済んだらしい。
震災直後には,戒厳令と徴発令が発令された。
戒厳令は,“暴動”のデマゴギーを背景にしていたのは
もちろん知られているが,
食糧確保のための徴発令については無知だった。
江戸の大地震の話。
例えば安政の大地震(1855年)。
その時に描かれた絵巻物,この話がなんとも興味をひいた。
正確に紹介する自信はないが,こんな話だったと思う。
「絵巻の方が,写真画像よりも震災の状況を的確に伝える」
こんな話。
リアルタイムの絵かき(画家)は,
その時(代)の生活日常の機微,ポイントを
よくつかんでおり,
それらが目につく形で描くので,
後世の人からすればとっても貴重な史料となる,と。
なるほど,なのである。
写真画像だと,
対象のすべてに対して中立的だからである。
時代の固有性は,そのままでは判らない。
鯰絵のはなしも面白かった。
鯰絵は,絵師たちが競い合うようにして,
さまざまな工夫をこらして描いた絵なのだそうだ。
しかも,
鯰→大地震→憎き対象,という単純なことではなく,
鯰→大地震→愛憎半ば,アンビバレンツな対象
という系の話のようだ。
江戸「文化」の奥行きは,
やっぱり相当なもののようである。
聞かせる技術,うふふ ― 2010年09月11日 09:16
ほぼ1年前,地元で知事選があり,
高校からの知り合いが立候補した。
結果は大敗だった。
が,いろいろ珍しい経験もした。
選挙事務所という空間の空気を知った。
代議士の何人かと直に話をした。
遠路はるばる助っ人で入った方もいた。
オーラがあったり,なかったり。
街頭演説会には,いわゆる大物政治家が
何人か来た。
そのなかに,一瞬にして人の流れを止め,
その場に何重かの人の輪を生み出す政治家がいた。
菅直人だった。
さすがに人心をつかむ術を知っていると思わせた。
ところが,いまそのオーラは,
少なくともTVの映像からは,
一切伝わってこない。
小沢のプレゼンスが圧倒している。
そう多くの者も感じているのではあるまいか。
黙して多くを語らず,から一転,
饒舌になった小沢。
そんな状況のもと,
今朝,NHK第1ラジオの「新聞を読んで」のなかで,
「札幌から帰京する飛行機。エコノミー席に座った菅はメガネをかけ、
話術のハウツー本『聞かせる技術』を読みふけった。」という,
『産経新聞』の記事を紹介していた。
いまの菅に覇気がなく,精彩がないのは,
とことん追い詰められている
からなのだろうか。
あるいは逆か?
オーラがなく,精彩もないから,
追い詰められている!
それにしても「山口くんち」の本だとは!
98歳、新藤兼人の凄さ ― 2010年09月21日 20:53
一昨日、NHK教育テレビのETV特集を観た。
新藤兼人はいま98歳である。
孫娘の新藤風が生をささえる。
これまで映画48本のメガホンをとってきた。
49本目となる今回の作品を、自ら「遺言状」と呼ぶ。
「遺言状」に選んだテーマは「自身の戦争体験」。
丙種合格だった新藤にも、1944年(昭和19年)3月、
赤紙が届いた。32歳だった。
彼は、呉海兵団に召集された。
その時召集されたのは100人。
みな30歳を超えたいわゆる老年兵であった。
掃除兵として任務に就いた。
つまり、「戦争の現場」ではなく、
いわば「銃後の守り」に就かされたのである。
ある場所での役目が終わると、
次の任務地(国内・国外)に移動させられる。
誰がどこに移動するかは、すべて上官がひくクジで決まる。
移動途中、当然のことながら爆撃の対象となる。
結局、最後に生き残ったのは100名のうちわずかに6名。
新藤は、その一人であった。
新藤が「遺言状」のテーマに「戦争体験」を選んだのも
100名のなかの6人になったからである。
生きていることがそのまま「原罪」だったからである。
老年兵は、そのほとんどが妻子もちだった。
94の家族が家族として持続することを断念させられた。
新藤は、「戦争」が家を、家族を
破壊する凄惨を目の当たりにした。
新藤は、「戦争」が常民の日常生活に潜ませる
怒り、悲哀、くやしさを見透かした。
それを象徴するのが一枚のハガキ。
フィリピンでの任務を命じられた同期兵に,
その妻から届いた一枚のハガキ。
「今日はお祭りですが
あなたがいらっしゃらないので
何の風情もありません」
日常を切り裂く「戦争」の意味を凝縮する文面。
これが60年以上新藤のなかに棲み続け、
「遺言状」としての映画をつくらせた。
「戦闘シーンがまったくない戦争映画」
の凄みが滲む。
新藤の演技指導も見るものを圧倒する。
いかにも新藤らしいリアリズムではあるが、
98歳の頭の中に完璧に出来上がっている演技のイメージを
微に入り細を穿つ形で実に丁寧に出演者に
伝えていく。
伝えられるのは大竹しのぶ、倍賞美津子たち。
みな素直にかつ懸命に、
そのイメージの再生・具体化につとめる。
麿赤児も出演する。
久しぶりに麿を見た。健在だった。
リハーサル風景にしてなお見る者を
「新藤の世界」に引きずり込む迫力。
封切りは丁度1年後。
運ばずにはいられない・・。
震度4という警戒値 ― 2010年09月29日 21:50
ゼミの最中に,奇妙な音が部屋の中を走った。
最初,学生の誰かのケータイが鳴っていると思った。
実に奇妙な着信音に設定しているものだと思った。
が,ポケットに入れてあった自分のケータイも
同じ奇妙音を発していた。
文字で表わすと以上のようになるが,
もちろんすべては一瞬の出来事であり,
いわゆる緊急地震速報の着信音であると認識したのも
この一瞬においてである。
とはいえ,おそらくはこの間3,4秒。
一人の学生がドアを開けた。
大きな地震が来る!と覚悟を決め,ゼミ生にも伝えた。
ただし,例えば身体を机の下に入れて防禦する必要は
なぜか感じ無かった。
実際に,揺れはほんの少しだった。
気がつかない学生もいたくらいの揺れに過ぎなかった。
震度4以上の揺れが予測される場合に速報が伝えられる,
というのは知っていたので,実にミステリアス。
誤報の部類に入るのだろうと思われた。
2007年に運用が開始されたようだが,
空振りは今回が初めてではない。
しかも,予測誤差がけっこう大きい例もある。
イソップ童話「羊飼いと狼」を想起した。
で,あれは何回めの時に真だったのだろう。
思い出せない・・。
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