聞かせる技術,うふふ2010年09月11日 09:16

高校からの知り合いが立候補した。
結果は大敗だった。
が,いろいろ珍しい経験もした。
選挙事務所という空間の空気を知った。
代議士の何人かと直に話をした。
遠路はるばる助っ人で入った方もいた。
オーラがあったり,なかったり。

街頭演説会には,いわゆる大物政治家が
何人か来た。
そのなかに,一瞬にして人の流れを止め,
その場に何重かの人の輪を生み出す政治家がいた。
菅直人だった。
さすがに人心をつかむ術を知っていると思わせた。

ところが,いまそのオーラは,
少なくともTVの映像からは,
一切伝わってこない。

小沢のプレゼンスが圧倒している。
そう多くの者も感じているのではあるまいか。
黙して多くを語らず,から一転,
饒舌になった小沢。

そんな状況のもと,
今朝,NHK第1ラジオの「新聞を読んで」のなかで,
「札幌から帰京する飛行機。エコノミー席に座った菅はメガネをかけ、
話術のハウツー本『聞かせる技術』を読みふけった。」という,
『産経新聞』の記事を紹介していた。

いまの菅に覇気がなく,精彩がないのは,
とことん追い詰められている
からなのだろうか。
あるいは逆か?
オーラがなく,精彩もないから,
追い詰められている!

それにしても「山口くんち」の本だとは!


コメント

_ ヨシヒロ ― 2010年09月13日 19:53

貧すれば鈍す、というところなのでしょうか。
オーラといえば、昔ですが某国立大学で野中 廣務を見かけたときを思い出します。
小柄な老人だけれど、目を離せない何かがあり、じっとみてしまいました。勿論向こうは全く意に介さず。政治「家」というものは、こういう生き物か、と変な感心を覚えたものです。
しかし、国政という魔物は、というか、与党というのが魔物なのでしょうか、人間の魅力を下げてしまう、そういう何者か、なのでしょうか。う~ん

_ Spindletree ― 2010年09月21日 21:10

オーラは,より多くの視線によって生み出されるものではないかと思います。もちろん借り物では視線の凝集はありえません。借り物に過ぎなくなった菅にオーラが発生しないのは当然なのかもしれません。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://g-village.asablo.jp/blog/2010/09/11/5341779/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。