「流行語大賞」と「ヒット商品番付」 ― 2009年12月02日 22:00
流行語大賞が決まった。
年間大賞は「政権交代」。
4年前の大賞が,
「小泉劇場」だったから,
誰もが想像していた通りである。
サプライズなし。
大賞決定直前に話題になったばかりの
「事業仕分け」が,
トップスリーに入った。
それだけインパクトがあったのか,
他には特に目立ったものがなかったからなのか。
とまれ,ムダ撲滅の“美名”のもと,
「ビジネスの理」が,
モンスターにならぬよう願いたいものである。
『日経MJ』も恒例の
「2009年ヒット商品番付」
を載せている。
東の横綱が「エコカー」。
西は「激安ジーンズ」。
以下,「フリー」(ノンアルコールビール),
「LED」(発光ダイオード),
「規格外野菜」,
「餃子の王将」,
「下取り」,
「ツイッター」(超短文ブログ?)と続く。
いずれも流行語大賞と同様,
「脱ダム」ならぬ「脱ムダ志向」,
「縮み志向」といえばよいか。
経済不況を,
ただ反映しただけで,
ひねりも工夫も一切なし。
マンネリがきいてあきれる,
きょうこのごろ。
年間大賞は「政権交代」。
4年前の大賞が,
「小泉劇場」だったから,
誰もが想像していた通りである。
サプライズなし。
大賞決定直前に話題になったばかりの
「事業仕分け」が,
トップスリーに入った。
それだけインパクトがあったのか,
他には特に目立ったものがなかったからなのか。
とまれ,ムダ撲滅の“美名”のもと,
「ビジネスの理」が,
モンスターにならぬよう願いたいものである。
『日経MJ』も恒例の
「2009年ヒット商品番付」
を載せている。
東の横綱が「エコカー」。
西は「激安ジーンズ」。
以下,「フリー」(ノンアルコールビール),
「LED」(発光ダイオード),
「規格外野菜」,
「餃子の王将」,
「下取り」,
「ツイッター」(超短文ブログ?)と続く。
いずれも流行語大賞と同様,
「脱ダム」ならぬ「脱ムダ志向」,
「縮み志向」といえばよいか。
経済不況を,
ただ反映しただけで,
ひねりも工夫も一切なし。
マンネリがきいてあきれる,
きょうこのごろ。
「内定取り消し」学生に支援の手,だが・・ ― 2009年02月27日 20:59
厚労省の発表によると,
この半年,非正規労働者の失職者は
15.8万人にのぼり,
今春大学等を卒業予定の採用内定取り消しが,
千五百人を超えたという。
この千五百人超という数字は,
93年度の調査開始以来,最悪なのだそうだ。
おそらく,
実数はこんなものではすまないだろう。
ところで,
内定取り消しにあった学生に対して
就活の継続を希望する場合
半年ないし1年間の在籍を認め,
授業料を全額免除したり減免する
大学が相次いでいる。
勤務先でも先日取り入れた。
国立大学法人では佐賀大が初めて導入した。
これをどう評価するか,
こうした対応のインセンティブは何か,
と考えると,
どうも,素直には評価し難い感じを覚える。
大学のイメージアップ
という意味で,
つまるところは,
大学のいわゆるマーケティング戦略の一環
でしかないのではないか
と,思われるからである。
なぜならば,
内定取り消しにあった「不運」に,
同情を禁じえないとはいえ,
いまだに1社からも
内定すらもらっていない4年生が
いる,それも少なからずいる,
というのが現実だからである。
こうした学生は,あえて(?)
卒業して既卒者という困難をえらび,
あるいは留年の道を選ぶ。
後者の場合,
授業料等はまともな額である。
大学は,こうした「不運」は一顧だにしない。
まるで,
内定がもらえないのは「自己責任」,
と,知るべしなのである。
内定取り消しの学生への対応は,
「イメージアップ戦略」に過ぎない,
と,いった所以である。
この半年,非正規労働者の失職者は
15.8万人にのぼり,
今春大学等を卒業予定の採用内定取り消しが,
千五百人を超えたという。
この千五百人超という数字は,
93年度の調査開始以来,最悪なのだそうだ。
おそらく,
実数はこんなものではすまないだろう。
ところで,
内定取り消しにあった学生に対して
就活の継続を希望する場合
半年ないし1年間の在籍を認め,
授業料を全額免除したり減免する
大学が相次いでいる。
勤務先でも先日取り入れた。
国立大学法人では佐賀大が初めて導入した。
これをどう評価するか,
こうした対応のインセンティブは何か,
と考えると,
どうも,素直には評価し難い感じを覚える。
大学のイメージアップ
という意味で,
つまるところは,
大学のいわゆるマーケティング戦略の一環
でしかないのではないか
と,思われるからである。
なぜならば,
内定取り消しにあった「不運」に,
同情を禁じえないとはいえ,
いまだに1社からも
内定すらもらっていない4年生が
いる,それも少なからずいる,
というのが現実だからである。
こうした学生は,あえて(?)
卒業して既卒者という困難をえらび,
あるいは留年の道を選ぶ。
後者の場合,
授業料等はまともな額である。
大学は,こうした「不運」は一顧だにしない。
まるで,
内定がもらえないのは「自己責任」,
と,知るべしなのである。
内定取り消しの学生への対応は,
「イメージアップ戦略」に過ぎない,
と,いった所以である。
ベストセラー仕掛け人としての「小さな出版社」 ― 2008年05月04日 17:47
今朝の日経に「気を吐く小さな出版社」というコラムが載った。社員数人で“当り”を出す企画力に注目したものである。一読して「なるほど,面白い」と思いつつも,「疲れる話,だな」というのが正直な感想。それほどのもの?と思う本を結局はヒット作にまで押し上げる腕力をもつ,今では誰もがその名を知っている出版社がある。名の知れた出版社で経験を積んだ編集者が,独立・起業したという点で言えば,本日のコラムで紹介されている二社もまったくこれと同様である。
二社とは,ミシマ社とアルテスパブリッシング。前者は,内田樹の『劇場の中国論』でデビューし,最近では,個人のポテンシャルをインターネットによって最大限引き出すことをウリにする企業「エニグモ」を取り上げた『謎の会社,世界を変える。』で話題を呼んでいる。後者は,やはり内田樹による『村上春樹にご用心』を第一作目とし,本社を東京稲城市におく。
両社ともネットでの販売という,最近可能となったビジネス手法に後押しされている。もっともなことだと思う。では,なぜ「疲れる話,だな」と感じたかといえば,ジャンルの垣根を越えて「ベストセラーを出すことにこだわりたい」(ミシマ社社長)というのが基本的スタンスのようだからである。これは「それほどのもの?と思う本を結局はヒット作にまで押し上げる腕力」がビジネスモデルになっていることを意味する。要は,“売れる本”,“ベストセラーを刊行する”のが本作りの《根本理念》ということである。だから話を聞いただけで「疲れる」のである。
「将来何になりたい?」と問われ,「有名人!」と答える最近の子どもたちの屈託のなさと見事に通底しているからである。
二社とは,ミシマ社とアルテスパブリッシング。前者は,内田樹の『劇場の中国論』でデビューし,最近では,個人のポテンシャルをインターネットによって最大限引き出すことをウリにする企業「エニグモ」を取り上げた『謎の会社,世界を変える。』で話題を呼んでいる。後者は,やはり内田樹による『村上春樹にご用心』を第一作目とし,本社を東京稲城市におく。
両社ともネットでの販売という,最近可能となったビジネス手法に後押しされている。もっともなことだと思う。では,なぜ「疲れる話,だな」と感じたかといえば,ジャンルの垣根を越えて「ベストセラーを出すことにこだわりたい」(ミシマ社社長)というのが基本的スタンスのようだからである。これは「それほどのもの?と思う本を結局はヒット作にまで押し上げる腕力」がビジネスモデルになっていることを意味する。要は,“売れる本”,“ベストセラーを刊行する”のが本作りの《根本理念》ということである。だから話を聞いただけで「疲れる」のである。
「将来何になりたい?」と問われ,「有名人!」と答える最近の子どもたちの屈託のなさと見事に通底しているからである。
『広告批評』休刊と本日の「CM天気図」 ― 2008年04月15日 21:32
雑誌『広告批評』(マドラ出版)が来年の4月,創刊30周年を迎える。が,その記念号をもって休刊すると発表した。長い間,定期購読してきた雑誌の1冊なので,いささかかの感慨を覚える。ただ,定期購読をしてきたとはいえ,必ずしもまじめな読者だったわけではなく,特にここ4,5年はほとんど積読状態にあり,せいぜい巻頭にある橋本治の時評に目を通す程度であった。でも廃品回収などに出そうと思ったことはないので,雑然とした研究室や自宅書庫を隈なく探せば過去20数年のバックナンバーがすべて揃うはずである。
1980年代の半ば前後,日本の企業が元気いっぱいで,とくに3S,すなわち西武,資生堂,サントリーの広告が人目を引いたことがあった。コピーライターなる職業がフツーの人に知られるようになった時期である。それまでは「コピーライター」とは,書き手の書きなぐった原稿を清書する人などとまことしやかな解釈が流れていた。ともかく80年代の中頃は,広告が「鑑賞に堪えうる作品」となったのではないか,といった,まさにポストモダンの思潮よろしく,あれこれ喋喋されたことは記憶に鮮明に残っている。
こうした状況のなか,「広告」を時代を映す鏡としてとらえ,クライアントの磁場から抜けた地点で論評の対象として自在にとりあげたのが『広告批評』であったと思う。「休刊」を決めた背景には,いまやWeb抜きに広告の存続はありえないとの認識がある。言い換えれば,マスメディアという旧メディアとの関わりで広告を問える時代ではなくなったということである。ネット広告は,バナー広告という,いまでは古典そのものとなった手法からリッチメディアを駆使するものを経て日々「進化」し続けている。『広告批評』としてはその役目を終えたというべきなのだろう。
天野祐吉。言わずと知れた『広告批評』の創始者であり,初代編集長である。彼が,毎週火曜日の朝日の朝刊に「CM天気図」を寄せている。本日の主題は「広告主の品位」。最近はやりの「品格」なるタームを使わなかった見識はさすがだが,筆鋒はかつてのそれではない,と感じたのは私だけだろうか?『広告批評』の休刊のせいなのか,はたまた「後期高齢者医療制度」なる悪い風にあたったせいなのであろうか。
1980年代の半ば前後,日本の企業が元気いっぱいで,とくに3S,すなわち西武,資生堂,サントリーの広告が人目を引いたことがあった。コピーライターなる職業がフツーの人に知られるようになった時期である。それまでは「コピーライター」とは,書き手の書きなぐった原稿を清書する人などとまことしやかな解釈が流れていた。ともかく80年代の中頃は,広告が「鑑賞に堪えうる作品」となったのではないか,といった,まさにポストモダンの思潮よろしく,あれこれ喋喋されたことは記憶に鮮明に残っている。
こうした状況のなか,「広告」を時代を映す鏡としてとらえ,クライアントの磁場から抜けた地点で論評の対象として自在にとりあげたのが『広告批評』であったと思う。「休刊」を決めた背景には,いまやWeb抜きに広告の存続はありえないとの認識がある。言い換えれば,マスメディアという旧メディアとの関わりで広告を問える時代ではなくなったということである。ネット広告は,バナー広告という,いまでは古典そのものとなった手法からリッチメディアを駆使するものを経て日々「進化」し続けている。『広告批評』としてはその役目を終えたというべきなのだろう。
天野祐吉。言わずと知れた『広告批評』の創始者であり,初代編集長である。彼が,毎週火曜日の朝日の朝刊に「CM天気図」を寄せている。本日の主題は「広告主の品位」。最近はやりの「品格」なるタームを使わなかった見識はさすがだが,筆鋒はかつてのそれではない,と感じたのは私だけだろうか?『広告批評』の休刊のせいなのか,はたまた「後期高齢者医療制度」なる悪い風にあたったせいなのであろうか。
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