学生の答案の今昔 ― 2007年02月27日 21:59
学部学生のときに、ある科目の試験で「トーマス・マン(Mun, Thomas)について知るところを述べよ」
というのが出題された(問題文は多少違っていた可能性もある)。一緒に受けた友人の試験終了後の言
に吹きだした。「トーマス・マンの問題だけは完璧。20世紀ドイツ文学をリードし、『トニオ・クレーゲル』
や『魔の山』などを著した人物。文筆活動ばかりではなくワイマール体制に共感しつつ、ナチスに対する
拒否の姿勢を鮮明にしたことについても縷々書き、その上で特に『ヴェニスに死す』について詳論したから」。
当時、それまでずっと不遇だった稲垣足穂が、三島由紀夫の引き立てによってようやく広く知られるように
なったという事情もあって、彼は稲垣の『少年愛の美学』の愛読者でもあったから、テーマとしては通底する
『ヴェニスに死す』を詳しく論評するのは造作のないことだった。
ところが設問は「トーマス・マン(Mun, Thomas)」 なのである。いいかえれば「トーマス・マン(Mann,Thomas)」ではなかった。 しかもこの科目は「経済学史」。 ドイツ文学のトーマス・マンが出題されるわけがない。いわゆる「貿易差額」を論じ、「重商主義経済学」 の中心的役割を演じた16-17世紀のイギリスの経済学者が出されたのである。
4月になって配布された彼の 成績表には80点という数字が輝く「経済学史」の評価欄があった。
もちろん彼は、「経済学史」の問題 にドイツ文学者のトーマス・マンが出題されるとは考えなかった。しかし普段講義に出ていない以上、イギリスの 経済学者のトーマス・マンをめぐる答案を書くことは不可能だった。他方、こうした事情を感得しつつ、担当教授 は80点をつけた。旧きよき時代であった。
今はこのように洒脱な答案を書ける学生は絶滅危惧種である。 手も足も出ないなら、脇の方から解答するという気転が利くものはいない。少なくともいま担当している学生はそうだ。基本的にはいずれの大学でも似たような状況にあるのではないか。まことにあっさりと諦めるか、 わけのわからない、文章ともいえないものを書いて出すか・・。本日は憂鬱きわまる再試の採点を済ませた。
ところが設問は「トーマス・マン(Mun, Thomas)」 なのである。いいかえれば「トーマス・マン(Mann,Thomas)」ではなかった。 しかもこの科目は「経済学史」。 ドイツ文学のトーマス・マンが出題されるわけがない。いわゆる「貿易差額」を論じ、「重商主義経済学」 の中心的役割を演じた16-17世紀のイギリスの経済学者が出されたのである。
4月になって配布された彼の 成績表には80点という数字が輝く「経済学史」の評価欄があった。
もちろん彼は、「経済学史」の問題 にドイツ文学者のトーマス・マンが出題されるとは考えなかった。しかし普段講義に出ていない以上、イギリスの 経済学者のトーマス・マンをめぐる答案を書くことは不可能だった。他方、こうした事情を感得しつつ、担当教授 は80点をつけた。旧きよき時代であった。
今はこのように洒脱な答案を書ける学生は絶滅危惧種である。 手も足も出ないなら、脇の方から解答するという気転が利くものはいない。少なくともいま担当している学生はそうだ。基本的にはいずれの大学でも似たような状況にあるのではないか。まことにあっさりと諦めるか、 わけのわからない、文章ともいえないものを書いて出すか・・。本日は憂鬱きわまる再試の採点を済ませた。
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