田中康夫が“見限られた”2006年08月07日 22:33

長野県知事選。“ヤッシー”が負けた。長野県民は田中康夫を見限った。自民、公明そして連合長野が推した村井仁が当選した。何がそうさせたのか?

かつて、 石原慎太郎は、青島幸男が東京都知事選に立候補した際に、「青島は物書きだから何かクリエイティブなことをするだろう。面白いじゃないか」というような発言をしていたのを思い出す。青島は、しかしながら、結局はいわば官主導型の都政に堕し、なんらクリエイティブな果実をもたらすことなく退いた。

田中康夫はどうだったか。信濃毎日新聞は「村井の勝利というよりは田中の敗北」と分析した。田中の目指した「脱官主導」「脱利益誘導」「脱公共事業」が、彼の特異な発想に基づいたトップダウンによって進められたことにすべては凝縮されるだろうと。要するに、県議会や市町村さらに県職員との対立が飽くことなく続いたことに県民が嫌気したとのだと。異見を唱えるものを斥ける「独裁者」になったとも強調する。と、いうことは青島とは対照的な位置にいたということだ。青島は、官主導に堕したがゆえに、その存在理由を喪失し、田中は、官に対して非妥協的であったがゆえに孤立し浮いて、その座を追われた。信州大の知人の何人かも最近はむしろ「反田中」になっていた。なかなかクリエイティブであることは難しい。

今回の結果からは、脱公共事業という「小さな政府志向」という点では小泉・竹中路線とも重なる経済思想が「No!」をつきつけられたことも注目されよう。