今どきの若者と“モラル”2007年10月10日 17:58

今朝家事の最中に聴いたNHKラジオ第1で,佐藤俊樹(だったと思う)が,少年犯罪のことを取り上げていた。先月,京都と長野で相次いで起きたティーンエージャー(16歳,15歳)が手斧を使って父親を襲った事件を主題として。佐藤は,こうした凶悪な少年犯罪は最近減少していること,今どきの「少年」は,驚くほどモラルの向上を示していることを強調していた。多分,統計データにあらわれる傾向という意味では,その通りなのだろうと思う。しかし,問題は,統計データが直接語らない内容をどう抽出し,それをいかに分析するのかという点にあるのではないか。今どきの若者はモラルを高めている,というのははたしてホントだろうか。

昨日の朝のフジテレビでは,先週大阪寝屋川で起きた万引き犯を追いかけて刺殺されたコンビニ店員のことを取り上げていた。最近は,「万引き」よりも,今回のような「かごダッシュ」(って,私ははじめて知った)が増えており,これは目の前の店員を生身の人間とは認識しなくなっている最近の子どもたちの心理と関係しているのではないか,と分析していた。しかし,もちろん,これだけでは説得力に欠ける。店員を「人」と見なさなくなったのはなぜかと,さらに追究することが最低限必要だからである。あるいは,子どもたちにとって店員が「人」でないというのはいかなる意味なのかを闡明することが先決だと思うからである。例えば,店員は自分たちの試みる「ダッシュゲーム」を成立させる不可欠な要素なのであり,従来の感覚でいう「彼岸」の存在(=秩序を体現し,対立して現われる者)としての「人」ではない,というように指摘してみせる必要があった。いまは,あらゆる生活日常がゲームのパーツで満ち溢れているのであり,その意味でコンビニ店員は「人」ではなく,ゲーム構成要素にすぎない。

それにしても,と思う。欲しいモノ,手に入れたいモノ,いますぐに費消したいモノを,かごいっぱいに詰めて,決済の手続きをカットして「堂々と」持ち出すという行為は,佐藤が言う「モラルを高める最近の若もの」と整合するのだろうか。「最小の費用で最大の効果」という場合「最少の費用はゼロに決まってるじゃん」というのが遠くから聞こえてくるのは気のせいだろうか。

フジテレビの取り上げたネタのもう1つは,ここ10年,少年犯罪において,「恐喝」つまり“喝あげ”が減少し,逆に「ひったくり」が大きく増えているという現象だった。“喝あげ”は,フェイス・トゥ・フェイスの状況を前提とし,とりあえず相手との“コミュニケーション”をはかることが不可欠となる行為である。いまの若者には苦手以外のなにものでもない。こんな手間ヒマのかかることよりは,「うむをいわせず」ひったくる方が,なんと楽なことよ,と思っているに違いない。問題はここにある。