「ねんきん」の話2008年11月03日 17:33

〈ねんきん〉といっても,「年金」ではなく「粘菌」のことである。今朝のNHKラジオ(「ニュースアップ」)が,このほど「粘菌」研究で「イグノーベル賞」を受賞した話題を取り上げていた。ゲストは研究代表の中垣俊之(北大・准教授)。

「イグノーベル賞(Ig Nobel Prize)」は,「ノーベル賞」を相対化ないしパロディ化し,〈笑い〉と〈ユーモア〉のうちにもう1つの「ノーベル賞」を対置せんとする試みとして結構知られるようになった。まじめな研究ではあるが,微笑ましかったり,眉をひそめるようなものだったりするところが真骨頂といった特徴をもつ。だから,いまや山形の「鶴岡市立加茂水族館」で連日大変な数の見物客を招き寄せている〈オワンクラゲ〉を研究してきた下村脩が「イグノーベル賞」を受賞したとしても不思議ではない,とシロウトは思う。

ところで,今回受賞した「粘菌」研究。端的に言えば,「単細胞の賢さ」を示したということのようだ。アメーバの一種の「粘菌」が,迷路の最短経路を見つけることができることを実証したのである。すごいと思う。「粘菌」もすごいが,その賢さを突き止めたこともすごい。実証は,4cm×4cmに4経路をもつ迷路を設け,任意の離れた2箇所にエサをおいて実施。「粘菌」にとって,1つの身体としてつながりつつ,離れた2箇所にあるエサをゲットすることが課題である。実験の結果,「粘菌」は最短経路にだけ身体を残しつつ,エサにたどり着く身体を最大にすることがわかった,という。当然,身体をつなぐという点に関して資源の最小化も実現することも判明した。要するに,「粘菌」は最小の労力で最大の効果,をアクロバティックな所作によって実現するということらしい。ご苦労なことである。“単細胞でなければ”,ムダを知る愉悦に至るのだろうに,と思うのだが,それは私だけだろうか。

ただ,インタビューワ(NHKアナウンサー)が,こうしたインタビュー時のご多分に洩れず,成果の応用・実用化の見通しを訊ねていたのだが,その回答が興味をよんだ。現行のカーナビゲーション・システムに替わるものが実現されるかもしれない,というからである。過日の九州行。レンタカーでの旅であったが,ナビゲーションの表示する時間距離の非現実性にほとほとうんざりしたのが思い出されるからである。

デジャヴとしてのオバマ2008年11月06日 15:45

米第44代大統領にバラク・フセイン・オバマが選ばれた。立候補を宣言してから2年弱。この間,メディアが取り上げ,とくに民主党における大統領候補をめぐるヒラリー・クリントンとの熾烈なデッドヒートについては,その報道は詳細をきわめた。だからオバマは,遠く離れたこの地においても,ごくフレンドリィな人物となったとも思われよう。しかし,昨日の大統領選は,どうもそのような経緯とは別の次元で,わたしたちにあるイメージを植えつけたように感じられる。言い古されたタームを使えば“デジャヴ”。

9月以降,アメリカは金融危機の様相を一段と深め,1929年世界大恐慌になぞらえて読もうとする試みも広がった。29年の株式市場の瓦落にはじまる大不況。当時の大統領は市場原理主義者のフーヴァー。今回,投資銀行破綻の現実を前にして財務長官ポールソンが,市場原理主義者ブッシュに,公的資金の投入を進言した際,当初ブッシュはこれを渋った。ポールソンは「あなたはフーヴァーになりたいのか?」とたしなめ,それでブッシュは方針を変えたといわれる。フーヴァーは,経済の苦境的状況のなかで,経済は健全といい続け,結局適切な対応をしなかった。その意味で“無能な大統領”としてその名をとどめているからである。今回,慌てて公的資金投入を受け容れたブッシュは,しかしながら“無能な大統領”であることはそのままというべきであろう。オバマは,この“無能な大統領”というお膳立てによってその輝きが一段とますかのように映る。フーヴァー後の歴史を演出し,実質的な効果が疑わしかったのに後世に名をとどめたF.D.ローズヴェルトのように。もちろん,80年前と現在とでは経済構造が全く違う。「ニューディール」が,はたして可能なのか,という問題も大いに残る・・。

オバマの演説の巧みさにも注目が集まっている。記憶に残る声色。リズムをとり,キーワードをちりばめ,聴き手の反応を見定めつつ,一瞬のうちにかれら聴衆を自らの時間と空間に引き込むわざ。2年近くの経験が,天性のものにさらに磨きをかけた。しかし,こうした聴衆を瞬時に捕まえるというのも,例えば60年代初めのJ.F.ケネディの登場とかぶってみえるともいえるのではあるまいか。しかも,むしろロックミュージックコンサートを髣髴されるような舞台(演説会場)のつくりと盛り上げ方に目をむけるべきかもしれない。政治の世界では,ポピュリズムの手法として知られてきたものをよりスキルアップしたといえばよいだろうか。つまり政治的空間をロックミュージシャン的に織り上げた,その意味でいささか独自性をもつといったところではないか。手法そのものはあくまでも既知のものなのである。

筑紫哲也というテクスト2008年11月12日 22:22

昨日,テレビをつけたら「ガンとの闘い500日―筑紫さんが遺したもの」が放映されていた。少しびっくりした。筑紫が亡くなってまだ4日くらいしか経っていないのに2時間枠の番組を流すということに,あまり合点がいかなかったからである。手際がよすぎるのではないかと思ったのである。それでも,仕事の合間,飛び飛びに見て思ったのは,TBSとしては,追悼番組としても最大級の2時間枠の企画を立て,それをいかに構成するのかの検討を行うべきだとする情報をだいぶまえに持ったということであった。少なくとも9月初めにはそうであったらしい。

わたしの印象としては,筑紫というジャーナリストはいいろいろに読めるテクストそのものの人であった。筑紫が,前景に現れたのは,80年代の半ば,『朝日ジャーナル』を担当しはじめてからだったように思う。60年代から70年代にかけて『朝ジャ』は,その主調を若い世代の叛乱に寄り添うような格好で表出した。それは「左手に(朝日)ジャーナル,右手に(少年)マガジン」という,まことにあの時代を象徴するコピー風の言い方にも見てとれる。これに対して,筑紫は,ニューとつくのも含めてレフトの運動を相対化し,ポストモダン的思潮,ニューアカデミズム的な何かへとシフトする流れに舵を切ったように思う。当時,すでに過去のものとなっていた全共闘の運動についてもけっして“Oui”とは言わなかった。『朝日ジャーナル』で,「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」「元気印の女たち」などの企画を次々とたてたことに彼のスタンスがよく示されていた。「若者たちの神々」。「一神教」から「多神教」への転換をイメージしていたのであろう。すべてを相対化し,グランド・セオリーを葬ることも辞せず,軽々と時代の相を描くことにのみ力を注いだかにみえた。この意味で,わたしにとって筑紫は解読を試みたいと思うような存在ではなかった。

亡くなった翌日(8日)の朝日で,日経の編集委員だった田勢康弘が,筑紫を「同僚と群れず,ひょうひょうとしていた。企業メディアの中でのジャーナリストの限界を突き破る闘いをずっとしていたのではないか」と評していた。わたしは,あるパーティで筑紫を間近に見たことが1回だけあるが,その時も筑紫のまわりには誰もおらず,一人にこやかにグラスをかたむけていたのであった。そのシーンを鮮明に思い出す。群れず,連(つる)まず,何よりも自立した個をたのしむかのような印象であった。テレビの追悼番組では,立花隆が,筑紫を「リベラルな人だった」というようなことを言っていた。立花は,おそらく社会自由主義(Social liberalism)的な意味合いで評したのであろう。しかし,群れず,連まず,自立した個という印象からは,なにものをも前提しない,独立した自由な意思主体としての個人といったいわばネオ・リベ的観念をわたしなんかは,ついイメージしてしまう。まことに読み解かれるべきテクストそのもののジャーナリストであったということである。そしてむしろこれからが,大きく時代が転換しつつあるこれからが,筑紫哲也というジャーナリストを読み解く醍醐味を教えてくれるはずではなかったかと思う・・。合掌。

大学は入試,入試でフル回転2008年11月17日 19:54

大学の入学試験といえば,昔は,2月(私立)と3月(国公立)に集中していた。しかも受験機会は,どの大学でも同じ学部・学科は1回限定だった。それが今では夏休み以降,頻繁(これを数日前からハンザツとよむことになったらしい・・(笑))に行われる。入試関係の委員がまわってきたら,他のことが一切できなくなって,鬱々たる日常を過ごさなければならなくなるが,入試関係の委員でなくとも,秋の深まったこの時期に,一斉に動員される日がある。2月に実施される一般入試以外の,9月以降間断なく行われてきた推薦入試(学業,スポーツ)・AO入試などの二次試験の日がそれである。今年もつい先日あった。午前には,1千字程度の文章の趣旨を100字ほどにまとめ,かつ筆者の主張に対する自分の考えを800字程度で表現するという課題。午後は,一人5分~10分程度の面接。今年は,この面接の役がまわってきた。20人弱の受験生と対面した。

自己紹介のようなことを記入する用紙が予め提出されている。これを見ながらのインタビュー。大学卒業後のことを書く欄がある。「将来どんなことをやってみたいか」。これに対する受験生の反応がいつも不思議なのであるが,今年もそうだった。「不思議」なのは,ほとんどの受験生が申し合わせたように同じようなことを書いてくるからである。数年前までは,大学を出たら「中学校の社会科の先生になって,スポーツ関係の部活の顧問につきたい」だった。異口同音に語られる「中学校の社会科の先生プラス運動部の顧問」は,結構不気味でさえある。そして,今年。8~9割の受験生が「金融関係の仕事に就きたい。ファイナンシャル・プランナーになって多くの人の生活を豊かにし,地域経済の活性化につとめたい」というのであった。金融帝国アメリカの失墜,金融シフトモデルの崩壊,といった現実にはいささかの問題関心もなくそうであった。ちなみに,最近の社会的出来事で興味をもったのは?と聞けば,これも例外なく「定額給付金」を挙げた。実に明るく,屈託なく金融を崇める高校生たちなのである。

聞くところによると,最近は高校3年生の文理の比率が,文型優勢に転じたという。昔は工学部人気が圧倒的な時代もあったが,それが様変わりし,工学部は学生集めに苦労しているといわれる。“ものづくり”のロマンよりも,金融でサクッと儲ける虚構にリアリティを覚えるというわけである。「金融」モデルのイデオロギーのまことに強靭なことよ,と思わざるを得ない。もちろん,現実はすでに次の場面へと転じている・・。