『文學界』新人賞の「意味」2009年05月13日 10:46

非漢字文化圏の出身者が
初めて「文学界新人賞」を受賞した。
ほぼ一ヶ月前,新聞で知った。
今朝の河北新報(「時の人」)で
作家を紹介している。
これだけ読めば,
「そうですか」で終わったと思う。

ところが
一昨日の朝日新聞の「ひと」でも取り上げていた。
作品を掲載した『文學界』(6月号)
発売にあわせて各新聞社が
同じような企画を立てた
ということなのだろう。

ともあれ,
来日5,6年で自然に日本語で
小説まで書けるようになったという作者は,
イラン女性である。
朝日の「ひと」には,
日本語習熟のコツが
「テレビを見ること。特にバラエティ番組」とあったので,
ちょっと興味を惹かれた。
バラエティ番組が,
『文學界』ご推薦の小説表現に
役立ったというのだから,
これは放っておけない。
「あのバラエティ番組が?!」というわけである。

そこで久しぶりに
『文學界』を購入し,読んでみた。
なるほど,「ハサンに拍手!」とか
「避けないと,本気で轢かれそうになる」,
「何百人もの人が一斉に叫んだ。声が骨の芯まで届く気がした。強くて,ぶっとい」
など,
なんとなくバラエティの雰囲気を漂わせている箇所がないわけではない。
しかし,作文の基調は,
けっこうオーソドックスな日本語である。
ところどころ日本語としてハテナと思うところもあるが
「青いジープが駐車されている」,
「監視役の先生がやってきては,罰せられるのが一目瞭然だが」,
「(ラマダン期間中)・・,一日中ずっと我慢した香ばしい料理の匂いも香りも肺いっぱいに吸い込みながら,断食を終わらす瞬間を待つ。」etc..,
それはトリヴィアルなことに過ぎない。
独特のリズムをもつ文の流れが,こうした難を一蹴している。

内容的には,「戦争」(イラン・イラク戦争)と「高校生」を主要な道具立てとするいわゆる純愛小説である。
かぎりなく定型的な世界ともいえる。
と,いうことは,
かつての日本にあって
いまは“失われてしまった情景”を
そこに見いだして
多くの人が反応した韓国ドラマ(冬ソナetc.)と
同様の位相に属す“小説”とみていいだろう。
“韓流”に“ムスリム流”が新たに加わったというわけである。

楊逸の登場など,
日本語の非ネイティブが
じかに日本語で小説を書いてしまう
トレンドの一端にも
止目する必要はもちろんある・・。