まったく同じネタの新聞各紙コラム ― 2009年06月27日 12:50
購読紙が,毎朝3紙届く。
今朝は,3紙のコラムの題材がまったく同じだった。
こんなことは珍しい。
が,購読3紙の場合,
1年に一度というほどにマレだというわけでもない。
しかし,ちょっと気になって,
ネット(新聞コラム社説リンク)でチェックしてみた。
驚いた。
全国紙(朝,読,毎,日経,産経)だけでなく,
河北,東京,信濃毎日などの地方紙も
軒並み同じネタを取り上げている。
そう,同じネタというのはマイケル・ジャクソンの急逝である。
朝日(天声人語)の出だしはこうだ。
「その世界に縁遠い人でも顔と名前は知っている」。
なるほど,わたしもその典型だ。
まったく関心がなかったし,
その音楽を意識的・自覚的に聴いたことは一度もない。
が,顔と名前は知っていた。
されば,各紙のコラム氏をして
ひとしくM.ジャクソンに
関心を向けさせたのは何だろうか。
各コラムを読んで浮かび上がってきたのは,なによりも
「ポップ音楽」の稀代のエンターテイナーであったというよりも,
その生き方がドラマ的だったということである。
いいかえれば各コラムを読んで,
それじゃこの機会に彼の歌を聴いてみようかとは,
ならなかった。
食指が動かなかった。
わずかにムーンウォークという
ダンスパフォーマンスは見てもいいかな,
と思ったにとどまる。
では,ドラマ的,というのは何か。
東京新聞(筆洗)は,
〈ダモクレスの剣〉の故事をつかいながら取り上げている。
絶頂と危機,山と谷,光と影は一体だと教える,
あの故事である。
M.ジャクソンの場合,
80年代にピークを迎え,
一世を風靡したあと,
暗転したということのようである。
ゴシップ,醜聞,奇行,孤独などなど
負のイメージの横溢する時期が続いた。
そして「永遠に年を取らない少年」
ピーターパンをめざしたM.ジャクソンは,
いま一度の栄光をと再反転をかけた
ロンドンツアーを目前に彼岸へととびたった。
表現者というよりもテクストとしての存在,
これが一斉に
コラム氏の筆を動かした要因だったというわけである。
今朝は,3紙のコラムの題材がまったく同じだった。
こんなことは珍しい。
が,購読3紙の場合,
1年に一度というほどにマレだというわけでもない。
しかし,ちょっと気になって,
ネット(新聞コラム社説リンク)でチェックしてみた。
驚いた。
全国紙(朝,読,毎,日経,産経)だけでなく,
河北,東京,信濃毎日などの地方紙も
軒並み同じネタを取り上げている。
そう,同じネタというのはマイケル・ジャクソンの急逝である。
朝日(天声人語)の出だしはこうだ。
「その世界に縁遠い人でも顔と名前は知っている」。
なるほど,わたしもその典型だ。
まったく関心がなかったし,
その音楽を意識的・自覚的に聴いたことは一度もない。
が,顔と名前は知っていた。
されば,各紙のコラム氏をして
ひとしくM.ジャクソンに
関心を向けさせたのは何だろうか。
各コラムを読んで浮かび上がってきたのは,なによりも
「ポップ音楽」の稀代のエンターテイナーであったというよりも,
その生き方がドラマ的だったということである。
いいかえれば各コラムを読んで,
それじゃこの機会に彼の歌を聴いてみようかとは,
ならなかった。
食指が動かなかった。
わずかにムーンウォークという
ダンスパフォーマンスは見てもいいかな,
と思ったにとどまる。
では,ドラマ的,というのは何か。
東京新聞(筆洗)は,
〈ダモクレスの剣〉の故事をつかいながら取り上げている。
絶頂と危機,山と谷,光と影は一体だと教える,
あの故事である。
M.ジャクソンの場合,
80年代にピークを迎え,
一世を風靡したあと,
暗転したということのようである。
ゴシップ,醜聞,奇行,孤独などなど
負のイメージの横溢する時期が続いた。
そして「永遠に年を取らない少年」
ピーターパンをめざしたM.ジャクソンは,
いま一度の栄光をと再反転をかけた
ロンドンツアーを目前に彼岸へととびたった。
表現者というよりもテクストとしての存在,
これが一斉に
コラム氏の筆を動かした要因だったというわけである。
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