クルマが売れない、らしい2007年07月03日 09:18

クルマが売れなくなったらしい。売れ行きは22年ぶりの低水準であり、このところ“好調”だった「軽」もこの4月以降は同じようだ

この背景にあるのはどのようなことだろうか。 家計調査報告によれば、2007年を100とする消費支出はこの2年ほぼ100を超えることはない。収入が多少増えても、消費支出そのものが抑制されているのである。クルマへの支出もそうした全体の動きの一部ではあろう。しかし、そうだとしてもそもそも消費にむかう勢いが弱くなっているのは何故かと、問題はさらに根源へとたどることになる。

クルマについていえば、1970年代に「ケン&メリーのスカイライン」(スカGT)が一世を風靡したことが思い出される。それは、クルマとともにあるというライフスタイルが憧憬の的だったことと同義だった頃のことであるが、1980年代にはいわゆるポストモダンの議論とともにクルマは「記号消費」の対象へと転じた。空間を移動するとかモノを運ぶというクルマの「使用価値」が問題なのではなく、どのクルマとともにあるのか、がとくに若者にとって最大の「使用価値」となった。しかし、バブルを経ていわゆるLost-Decadeに沈む間にポストモダンを楽しむ余裕は失われてきたと見られる。商品はそれぞれ“本来の”使用価値が再び前景化したかにみえるのである。そうしたなかで、モノとしてのクルマへの欲望が希薄になっているとすれば、人々がイメージするライフスタイルがその象限をいまいちど大きく変えつつあるということなのかもしれない。

とにかく東京では、クルマなんて日常的にどこに保管=駐車するのか、という問題1つとっても邪魔なだけのものとなっているし、空間移動には知地下鉄と電車があるし、万一クルマ必要だとしてもレンタルカーで十分に間に合ってしまう。何人か/何軒かで1台のクルマをもつ、といういわゆる「カーシェアリング」という選択肢もリアリティを持ち始めた。 「記号の氾濫」が「情報(化)社会」の生成と指摘したのはマーク・ポスターだっただろうか。消費支出に現れている最近の傾向は、人々が原点回帰(=本来の使用価値?)を始めつつあることを象徴するのかもしれない。もっともそれは一種の生活防衛としてだろうが・・。