「幼児の高齢化」現象2008年02月18日 23:50

「蘇民祭」のこと。今回話題になったのは岩手県奥州市水沢の黒石寺の秘祭(だったはずなのにメディアによって全国的に流されたそれ)。記録保存のために国指定の無形民俗文化財になっているのが裏目にでた格好となった。つまり観光客を意識した企画となったことで,「ポスター」騒動に発展してしまった。参加メンバーがお互いに知り合い,という閉じた関係のなかで祭事として行っている分には何の問題もなかったのに,出入り自由の催事となったことでややこしいことになってしまった・・。

ところで今回の「蘇民祭」騒動で,いささか考えさせられたのが,男性3人が,全裸で下北沢の商店街を練り歩いたという報道だった。下北沢の居酒屋で盛り上がり、“存亡の危機”に立たされた「蘇民祭を守れ」となったらしい。特に岩手県警が「全裸は公然わいせつ」と予め警告したことに対して、3人は「祭りを規制するのはおかしい!」と一致団結し,“弾圧粉砕!”のために服を脱いだ(同記事)。「考えさせられた」のは,この行動に出たのが38歳の男性という点である。昔だったら,確実に20歳前後の学生の行動パタンだった・・。

そういえば,サッカーJ2のベガルタ仙台の4選手が,キャンプ地の宮崎県延岡市で酒に酔い、車の上にのって車を損壊させたというのも報じられた。こちらは昔で言えば,高校生のしわざだったと思われるようなこと。とにかく「幼さ」が遅くまで残る時代になったということである。幼児の高齢化とでもいえばよいだろうか。

かつて田中史郎が「ゴム紐の論理・修正されたゴム紐の論理」をもって「高齢化社会論」の虚妄を突いた。あれは、年少者の階層では高等教育機関への進学率の上昇が進み、高齢者と規定される層においては平均余命が15年となる年齢が高まるという二重の動きが「生産年齢の階層」を相対的に拡大し、したがって全人口に占める「生産年齢層の低減」として喋喋される「高齢化社会論」はまやかしに過ぎないと喝破したものだった。その意味では経済問題に焦点を絞った「ゴム紐の論理」であったと言える。これが「幼児の高齢化」という社会問題にまで射程をもつのか、という問題ということになる・・。