89と682009年11月10日 21:49

1968年から1989年へ
昨日は,「ベルリンの壁」が崩壊してちょうど20年。
現地では様々なイベントが企画されたようだ
1989年は世界史的転換の年であった。
日本の昭和の終焉。
中国の「天安門」。
ポーランドの「連帯」。
そして「ベルリンの壁崩壊」。
さらに・・。
12月には,パパ・ブッシュとゴルビーの,
いわゆるマルタ会談(「冷戦終結宣言」)。
その数週間後,ルーマニアでチャウシェスク政権が崩壊した。

ドラスティックかつドラマティックな1年だった。

ドラマティックといえば,
チャウシェスクが公開処刑された時の,
ある映像が記憶に鮮明に残っている。
それは,
若い男性が,数字を書き入れたプラカードを
頭上にかかげたシーン。
数字は,この年を指す「89」。
これを徐々に頭の上で回転させた。
そしてあらわれたのが「68」。
つまり1989年は,
1968年にスタートした
世界史のダイナミズムの
到達点なのだという強烈な
メッセージであった。
TVの画面を見て震えた。

1968年こそ「プラハの春」の年だったからである。

最近「1968年」がブームである。
1968をタイトルにした,
ないしタイトルの一部にした
書物が次々と刊行される。
小熊英二の大著(上,下)やら,
『1968年に日本と世界で起こったこと』やら,
『村上春樹と小阪修平の1968年』やら。
これらの底流にあるのは,
「現代」の始原こそ1968年という主張である。

しかし,わたしたちは,すでに四半世紀以上も前に
ガタリ&ネグリが「革命は一九六八年に始まった」(”Les nouveaux espaces de liberté”)
と喝破したことを知っている。
「プラハの春」だけではなく,
世界規模で広がった学生叛乱
(フランスで,ドイツで,アメリカで,日本で・・)。
しかも,この年,
金ドル体制の崩壊(「金の二重価格制実施」)
という形で,
東西冷戦体制をコア部分とする
「パックス・ルッソ・アメリカーナ」なる
世界政治経済システムそのものが崩れゆくドラマもあった。
忘れるはずのない「年」だったのである。

それにしてもである。
「ベルリンの壁」を設けたのは誰?の問いに、
ロシアの若者の6割が,
「わからない」と答えるらしい。
20年は半端な時間ではないのである。