箱根と茂吉2007年12月24日 13:45

昨日、箱根に来た。年2回の頻度で開かれているある研究会が、久々に箱根開催となったからである。暖かい。もっぱら高齢世代がひしめいていたのは十数年前。いまは、若いカップルがだいぶ目立つ。箱根に惹かれ、温泉に誘われてということなのか。

箱根湯本から登山鉄道に乗った。大平台に向かうところでまず最初のスイッチバック。それを3回繰り返して強羅に至る。この方式は以前のままである。

ところで、登山鉄道から風景を眺めていて、一昨日、仙台文学館主催の「うたびとが詠む『光』のことば」を聴講したのを思い浮かべた。歌人・小池光のことばセッション。「歌人からのメッセージ~俵万智を迎えて」という企画があったのである。仙台文学館の現館長小池光は、私にとって40数年来の友人。互いに良友であり、悪友であり、私にとっては畏友でもある。それはともかく、「ことばセッション」と箱根の間にどんな関係があるのか、というと次のようなことになる。セッションは、「光」が詠みこまれている歌を、二人の歌人が5首ずつ選んでそれを解説する形で進行した。そのなかに、上の句が


しづかなる峠をのぼり来(こ)しときに

下の句が

月のひかりは八谷(やたに)をてらす  


という、斎藤茂吉が箱根で詠んだ1首が入っていたのである。解説は、この歌の肝心なところが、たんに谷とせず八谷(やたに)と表現したところにあることを強調した。しかも八というのは「八百万(やおよろず)」「八百屋(やおや)」に通ずるようなニュアンスであるとことにも注目した。箱根には夥しい谷があるが、峠路をあるいてようやく登りきった時に眼下に見えるたくさんの谷が月のひかりに照らされて迫ることを詠んだものだというのがその説明であった。しかし、どうだろう。昨日、登山鉄道であらためて登ってきた時の感じ、宿泊先の露天風呂から眺める箱根の全貌は、数多くの谷があることも教えてくれるが、それ以上に箱根が険しい山並みであることを、したがって谷もそれぞれが峻別されてあるそれであることを示しているように思う。つまり「八谷」の「八」は、八という字の「指事」の「両分の形。左右に両分」(パソコン内の『字通』白川静)に解釈の根拠をもとめるのが正解ではないか。それぞれの谷が截然と分かれているのである。八は単なる数(量)のことではなく性状(質)を示しているのではないか。箱根のなかで詠みに素人である私はそう思った・・。