師走そして大晦日・・2007年12月02日 11:31

はやくも師走。駅に,街に,住宅地に,年末を演出する仕掛けが目立つ。今風のアレンジメントはいささかウザイ。12月といえば,大晦日恒例の「NHK紅白歌合戦」。今朝の朝日の文化面で、“各界で活躍する100人”に実施した「紅白」についてのアンケート結果が出ている。「継続すべきか」についてと「もし代えるとすれば何に」への回答。「継続すべき」が56%とビミョーな数字というのはともかく,「代替案」について,これといったアイデアがなさそうなのが意外だ。と,いうよりも,一見してステレオタイプ、誰もが思いつくようなものばかりなのである。映像だけ流すとかテレビ放映を止めるの類が1つ。NHK版「朝まで生テレビ」というようなものが1つ。それと民放の格闘技の向こうをはって大相撲スペシャルを、というのが1つ。

「紅白」をあまり見なくなってどのくらい経つか。でも“大晦日には「紅白」がある”という固定観念から解放されていないというのも事実。だから紹介されている橋本治の紅白が「なくなると『都心の一等地に建つビルが空っぽの幽霊ビルになった』という状態になる」というのはよくわかる。

それにしても、あらためて代替案をといわれたら,やっぱり凡庸なことしかでてこないのも確かだなという気がする。その凡庸という手のひらの上でという自覚をもってあえていえば,NHKだからこそ可能だという番組ということになる。グローバリゼーションの進むなか、格差が問題となっている世界の現実を映し出す映像とか。中国一の大富豪(上海の女性)の日常と日本のワーキングプアやネットカフェ難民。アメリカの投資業富者やIT長者・・。やっぱり名案はでてこない。「志ん生」「円生」の古典落語というのもいささかマニアックだし。クリエイティブって難しい・・。結局,こうして「紅白」はこれからも続くわけである。

個人情報漏洩という“脅しの意味”2007年12月06日 12:33

最近,多くは新聞の社会面の下に,有名無名を問わずさまざまな企業が実に“しらっと”「お詫びとお知らせ」の社告を載せるようになったことはすでにふれた。家電メーカーは製品の不具合を詫び,食品メーカーは期限偽装を詫び,あるいは産業業種を超えて,個人情報漏洩について謝罪する。

ついに,当方に直接詫び状が届いた。日常,書籍を購入している某大型書店からの「お詫びとご報告」。標記には「お客様の個人情報を含んだ情報記憶媒体が紛失した可能性について」とある。要は,業務上の情報管理を委託している先の企業が,委託業務で使っていた情報記憶媒体を紛失した可能性があり,まだ発見にいたっていないものの,媒体にはいわゆる決済に必要な情報も記録されていたので「お詫びとともに報告する」というもの。決済に必要な情報というのは,名前,住所,電話番号,銀行コード,支店コード,口座番号,名義だという。「どひゃぁー」。

むろんここで最大の問題は,現時点では,情報の外部流出や不正利用はないと判断されるとしつつ,今後,もし,そういう事態が発生したらどのような対応を考えているのかなどについては一切言及されていない点である。何かあれば電話で問い合わせるように促しているのみ。しかも対応する時間帯は,9:00~20:00で,平日だけ。

そこで深読みしてみた。例えば,ここで即,日常の取引=購入(年間ぅん十万円)を止めるとする。そうするとどうなるか。今後今回のことで仮に被害にあっても,恐らくは補償されるということもなくなるだろう。「あんたはもう顧客ではないもんね」と。ということはこうした個人情報の漏洩(の可能性があること)が,実は顧客囲い込みの手段にもなり得ることを示している。一端,当方の情報(個人情報)を提供すれば,その相手の磁場からまぬがれるには,万一の場合のマイナスを受け容れることが条件となるということである。わぁーお!すごい時代になった。

「ほどほど族の氾濫」2007年12月10日 23:42

本日は新聞の休刊日,というわけでもないが,先日(先週の金曜日)日経に載って少し考えさせられた記事をモチーフにしてみる。タイトルは「働くニホン」。見出しは「増える『ほどほど族』」。要は,「昇進を拒否」する者が珍しくなくなり,「仕事に打ちこんでも報われるとは限らない」から「ほどほどでいいという人が増えている」というもの。

「仕事ができる人ほど疲れていて楽な職場を求めがち」という傾向。仮に,バリバリ仕事をこなしたとしても,結局その仕事に意味を見いだしたり,達成感を覚えたりということが希薄になった現実。これが大問題だと。もちろん,一種の悪循環とでもいうべき構造という側面はある。バリバリ仕事をこなす人が,気を入れて励めば励むほど,周辺の“ほどほど族”はヨリいっそうほどほどとなり,つまりは退いてしまい,その分バリバリ族の負担が膨らみつつ,結局はバリバリ族もまたほどほど族に転じてしまう・・。

だから,問題は,「そも“ほどほど族”は何ゆえに蔓延せざるや?」と立てられることになる。「ばぁーろ。こんなのやってられるかっちゅーの」というセリフを吐く者がなぜかくも多く生み出されたのか?おそらく,いまのニホン――否,グローバルな範囲――のすみずみにまで,目の前のことしか眼中に“できない”やり方が瀰漫してしまったからではないか。いくらいいアイデアでも,それが結果がでるまで時間がかかるようであれば,即,却下されるのが標準となった。しかも却下をいいわたす者の恃むのが全く非創造的でしかないマニュアルとでもいうほかないシロモノだとすれば・・。モチベーションを持続させるのは,高めるのは何か,が問われている。

船場吉兆の社長と取締役が辞任を表明したという。もの言えぬ従業員。ほんとのことを口にだせない現場。「バリバリ族がほどほど族へと転じてしまう」ドライビング・フォースが,産地偽装や期限偽装を積極的に実行した経営陣のトップだといえば,問題を矮小化することになるだろうか?

年金問題とプロの目2007年12月13日 11:32

プロ校。原稿書きにはなじみのジャーゴンである。初校ゲラに朱を入れて戻す。ややあって再校ゲラが届く。現在では,このあたりでほぼ最終の形となる。これがいわゆるプロ校にかけられて,ギリギリ吟味される。むしろ,執筆者本人では見落としてしまう誤り等がここで訂正される。プロフェッショナルの校正業が不可欠である所以である。

昨日の朝日の投稿欄(「私の視点」)に,校正業に携わっているプロがいわゆる年金問題について提案している。「支払った年金がもらえない」異常事態を解消するにはどうすればいいのか。プロ校から見た方策は,データ(紙台帳の記録)を別のデータ(コンピュータの記録)に移す際に発生すると考えられる誤りをまず網羅することから始まる。このプロの目を活用すれば,納付者の確定は飛躍的に増やせるはずとのこと。さすがにプロである。しかも,これはあくまでも校正者の視点からのアイデアであって,他の様々なプロの目と技をもってすれば問題はかなり解消するだろうとも指摘している。

もちろん,そのためには厚労省が「データの項目や修復作業の工程など」について情報開示をし,広く方策を世に問うことが不可欠である。

ここ数日,舛添や町村は完全に開き直った。しかも,一部の報道が煽るように,そしてこれはこれで正解にちがいないが,舛添が辞任すれば済むようなことでもない。厚労省/社保庁にプロが不在だとすれば社会がフォローするしかない、という問題なのである。公(おおやけ)もここまでガタが来たという話なのである。しかも,今年の世相を表す漢字が「偽」になったことからはっきりしているように,民間にゆだねることもできない,という問題でもある。「社会がフォローするしかない」というほかないのである。